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《野球留学生の悲しみ》スタンドから地元ファンのヤジ…明徳義塾・馬淵監督「勉強ならよくて、スポーツならあかんのか」
posted2022/03/23 11:03
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph by
Tadashi Shirasawa
熱戦が繰り広げられるセンバツ甲子園。球児たちの中には、15歳にして親元を離れ、甲子園を目指す野球留学生たちも少なくない。強豪校ゆえの激しいポジション争いや、慣れない土地での寮生活に悪戦苦闘しながら過ごす日々……。彼らの奮闘を描いた『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! ~野球留学生ものがたり~』、高知の強豪・明徳義塾編から一部を抜粋して紹介する。(全2回の前編/後編へ)【肩書などすべて当時】
馬淵監督「ウチも取材拒否や」
明徳義塾の野球道場の敷地内にレンタカーを停めると、ほどなくして校舎の方向から自家用車が現れ、野球道場前で停車した。銀縁眼鏡をかけ、ユニホームにウインドブレーカーを羽織った馬淵史郎監督が車内から現れる。甲子園春夏通算51勝、2019年11月に64歳になった大ベテラン監督である。
私はすぐさま馬淵監督に近寄り、自分の身分と名前を名乗る。馬淵監督は「今日はどんな取材なの?」と穏やかな口調で尋ねる。私は「実は、野球留学生について取材をしておりまして……」と切り出した。
すると馬淵監督は間髪を容れず「野球留学なら、●●に取材せぇ」と言った。そして、「あそこが一番、留学生をとってるで」と、甲子園でもお馴染みのダミ声で続けた。
私は先制パンチを食らったようにあわてふためき、「いえ、実はそこは取材を断られてしまいまして……」と答えた。口に出してから、「しまった」と思った。これでは、その高校に取材を断られたから明徳義塾に来たような誤解を招くではないか。だが、そんな後悔も後の祭りだった。馬淵監督は冷静なトーンのままこう言った。
「なら、ウチも取材拒否や」
ネガティブな意味で使われがちな「野球留学生」
いきなりの門前払い。やはり、馬淵監督にはライバル校の代わりに明徳義塾に来た印象を与えてしまったようだ。