マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
甲子園優勝校・元主将の裁判「野球がない自分にはなんの価値もない」 高校時代に彼が語っていた“本音”を思い出す
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKYODO
posted2021/02/17 17:03
甲子園優勝校・元主将の裁判が開かれた千葉地裁
ビンタ、ケツバット、正座……
ビンタ、ケツバット、ダービー、正座、恫喝、使いっぱしり……さすがに「根性焼き」だけは、私たちの時代にも聞いたことはないが、日常的にそういうものの「嵐」にさらされた下級生時代には違いなかった。
そうした「制裁」は、日本の軍隊で当たり前のように行われてきたことがそのまま持ち込まれ、組織として強い敵を倒すためには「技量」以外に精神的強靭さが絶対必要として、肉体的、精神的苦痛を伴う制裁を与えることで「根性」を養おうとした。そんな経緯で、大きく違ってはいないのではないか。
戦前のことはよく分からないが、戦後始まったことだとしても、かれこれ70年以上。70年続いたことが、すぐになくなるわけもないだろう。
ただし大義名分は立派でも、実際のところ、上級生の欲求不満のはけ口か、屈折した八つ当たりが下級生に向けられる。それが“実態”なのも、軍隊当時から変わっていないのではないか。
そんなクソみたいなものと、将来ある青年の半生を引き換えにする必要など、どう考えてもあってはならない。
男親が「兵隊」を経験している世代の少年、青年は、家庭でそうした「教育」を受ける場合があったから、乱暴な扱いにも、いくらか「免疫」があった。それが私たち、昭和50年代(1970年代)までに学生スポーツを経験した世代だ。
しかし、今の若者たちは違う。穏やかな雰囲気で育ってきている。野蛮なしきたりにギブアップする者を責めることはできない。
そもそも「被害者」だったはずの“彼”が、「加害者」として法廷に立たねばならなかった現実。
そこに、なんとも言い切れない悲しさを覚える。
いや、おそらく、これまでも「被害者だったはずの加害者」は何人もいたのではないか。今回は、“彼”の華々しい球歴が、事を大きくしたということではないか。