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リンクマンながら“3つのポジション”を担ったローター・マテウスの自負「誰かに感化されることはなかった」

posted2021/02/21 17:01

 
リンクマンながら“3つのポジション”を担ったローター・マテウスの自負「誰かに感化されることはなかった」<Number Web> photograph by L’Équipe

90年のW杯イタリア大会ではドイツ代表の主将を務め優勝に貢献。選手として絶頂期だった

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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L’Équipe

 サッカーについて語るとき、ローター・マテウスは今も変わらず情熱的である。2003~05年にハンガリー代表監督を務めて以来、今日も居を構えているブダペストで電話インタビューに応じたマテウスは、ドイツ代表はもちろん現役時代に所属したボルシア・メンヒェングラードバッハ(1979~84年)、バイエルン・ミュンヘン(1984~88年および1992~2000年)、インテル・ミラノ(1988~92年)でもプレーし続けてきた中盤のつなぎ役=リンクマンというポジションについて、深い洞察に基づく持論を大いに語った。スカイスポーツ・ドイッチェランドの人気コメンテーターとして、ブンデスリーガとCLの解説を担当しているマテウスの、インタビューの後編をお届けする。(全2回の2回目/#1から続く・肩書などは掲載当時のままです)

(田村修一)

「パンツァー」の郷愁

――プレーが進化した今日でも、プロとしてプレーしたいと思いますか?

マテウス もちろんだ。どの時代だろうと、僕はサッカーが大好きだから……。僕の時代にも個性に溢れる選手はたくさんいて、みな今日よりもサッカーを愛していたように思う。今は周囲に興味深いものがありすぎる。ソーシャルアカウントやマーケティング、パブリシティ……。僕らがプレーしていたころは、サッカーしか頭になかった。24時間サッカーのことばかりを考えていた。

 たしかにスタジアムもピッチも今の方がずっといいけど、メンヒェングラードバッハ時代にベーケルベルグ(ボルシアパルク以前のボルシア・メンヒェングラードバッハのホームスタジアム)に5年間通い続けたことや、バイエルンではオリンピックスタジアム、インテルではサンシーロでプレーしたことを誇りに思っている。どこでもサポーターとは一心同体だった。

 今はすべてが巨大化しているから、匿名性がより顕著になったのは仕方のないことだが、ロッカールームやシャワーまでもが巨大化した。サッカーの根っこが失われたとは言わないが、何かが消えてなくなったのは否めない。以前のサッカーはもっと家族的だった。

――あなたはリンクマンでありながら、相手ゴール前まで積極的に進出しました。時代を先取りしていたといえますか?

【次ページ】 異能なるリンクマンの自負

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