才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER

スキー・モーグルで冬季オリンピック5大会連続出場! 上村愛子が困難の中で幸せを見つける方法

posted2020/12/30 11:00

 
スキー・モーグルで冬季オリンピック5大会連続出場! 上村愛子が困難の中で幸せを見つける方法<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph by

Naoya Sanuki

1998年、初めて冬季オリンピックに出場した長野大会で7位入賞を果たすと、2002年ソルトレークシティで6位、2006年トリノで5位、2010年バンクーバーで4位と順位をあげたが、最後のソチでも4位。

5大会連続出場を果たしながら、スキー・モーグルの上村愛子の手は最後までメダルに届かなかった。

「オリンピックの思い出というと泣いていたり、悔しがっている姿がすごく多いんですけど、本来の私は常に笑っていて、幸せだと思っていたい人なんです」と笑う。

 18歳で長野オリンピックへの出場が決まって、一気に有名になって。たくさんの人に競技をする姿を見てもらえたのはとても楽しかった。

 里谷(多英)さんが金メダルを獲得して、私も入賞していい成績を残せたし、応援してくれた人も楽しんでくれていたらいいなと思っていました。だけど、どんな成績でも変わらない方もいれば、結果によっては離れていく方もいらっしゃって。

 オリンピックって成績や結果をしっかり残さないと、みんなから喜ばれる状況にならないんだということをまざまざと知りました。

メダルに手が届くだろうと思っていた

 私はコミュニケーション能力が高いわけではないし、人付き合いも下手なので、人が離れていく状況がすごく怖くて。皆さんに応援してもらえる、応援してきて良かったと思ってもらえる選手になるために、オリンピックで金メダルを目指すというものすごく高い目標を設定しました。

 そこからの4年間で総合成績も上がり、ワールドカップでは表彰台に常に登るほどに成長をしました。長野オリンピックで里谷さんの結果を目の前で見て、自分も目標に向かって真剣に取り組んだら、メダルに手が届くだろうと本気で思っていました。ところが結果は6位。明確な目標を立てても、思うような結果が残らないことがあるということを初めて実感しました。狙いに行って戦っても、その瞬間に全てが噛み合わないとダメなんだと、そこからの4年は深く悩んだ時期でした。

 でも解決策なんてなくて、結局やり続けるしかないんですよね。やめてしまっても、なんとなくの答えは出せるかもしれない。でもそれでは自分が腑に落ちないと思うんです。

【次ページ】 すべては競技の延長線上にある

1 2 3 NEXT

ページトップ