One story of the fieldBACK NUMBER
ノーコンは“不治の病”なのか。
ある雪国のエースが出した答え。
posted2018/05/11 11:30
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Kyodo News
子どもの頃、原っぱや公園でやっていた草野球で、私は“ノーコン投手”だった。いつもマウンド(平らな場所にプレート代わりの木棒を置いただけだが……)に立ちたがるわりには、投げ方の道理を知らないのだから、ボールは思うところにいかなくて当たり前だった。
もっともそれは他のみんなも同じで、だから私だけでなく、全員がお互いに親しみを込めて「ノーコン投手」と呼びあっていた。それはあくまで野球を遊びとしてプレーする者たちの愛称のようなものだった。
大人になり、プロ球団の番記者をやるようになったばかりの頃、1人の新人投手が入ってきた。彼はドラフトの上位で指名されたために、すごく注目されており、最初はいつもメディアに囲まれていた。私もその中にいた1人だったので、彼が困惑している様子も間近で見ていた。
「僕、評価されすぎなんですよ……」
雪国の田舎町で生まれ育った投手にとってみれば、たった1日で世界の景色が変わってしまったように思えただろう。
まだ彼にとって最初のシーズンが始まる前のある日、キャンプ地の宿舎ホテルで大浴場に入っていると、偶然、彼も入ってきた。
一緒に湯船に浸かった。たしか、何気ない話をしていたと思うのだが、あまり記憶にない。ただ、途中でふと彼がこう漏らしたことだけはよく覚えている。
「僕、評価されすぎなんですよ……。みなさんが思っているような力、ないと思うんです。なんか、怖いんですよね……」
私はなんて返したらいいのかわからず、「うーん……」と言いながら、やたらと熱い湯船にあごまで沈んだ。
それから間もなく、彼はピッチング練習でストライクが入らなくなった。それどころか、とんでもないところにボールが行くようになった。監督は怒り、コーチは呆れ、メディアはそれを報じ、やがて一軍からいなくなった。