野球クロスロードBACK NUMBER
巨人・内海が差しかかる“30代の壁”。
工藤、山本昌、三浦と共鳴する意識。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/03/03 10:40
2011、2012年は2年連続で最多勝という圧巻のパフォーマンスだった。内海哲也、枯れるにはまだ早過ぎる。
工藤公康、山本昌が30代で直面した身体の変化。
肉体とは、言うまでもなく変化していくものである。現役時に実働29年、47歳まで投げ続けたソフトバンクの工藤公康監督は、自身の肉体との戦いについてこのような見識を述べていた。
「人間は年齢とともに、筋肉や骨格が少しずつ変化していく。どんなに鍛えても、年をとれば体は衰えていくものなんだよ。長く現役を続けられる選手というのは、それをできるだけ遅くするためにトレーニングをするわけだ」
工藤のように、長きにわたりプレーしてきた先人たちはそれを実証してきた。プロ野球歴代最年長の50歳までマウンドに立ち続けた山本昌もそうだった。
すでにベテランと呼ばれていた'02年。37歳の山本昌は、この年から監督となった山田久志に徹底的に走り込みをさせられた。この年齢にもなれば、練習メニューはある程度選手に任せられる。したがって、体に負担が掛からない軽い練習をしてもいいはずなのだが、山本昌にそれは許されなかったという。
「自分はもう何歳だから」と勝手に限界を作らない。
ベテランなのに若手と同じ量をこなさないといけないのか? 当初こそ怪訝に思ったそうだが、「その経験は生きた」と山本昌は自信を持って言い切っていた。
「トレーニング方法は人によって違うと思うんだけれども、僕の場合は走り込みだった。山田さんが監督の期間は、一度も特別扱いされなかったもんね。でも、あれがあったからこんなに長く現役生活を送れたと思っているんでね。『自分はもう何歳だから』とか勝手に限界は作らないほうがいい。年齢を重ねれば重ねるほど、それは実感した」
内海にしても、今後何年もマウンドに立ち続けられる資質はある。それは、中堅からベテランになる年齢という転換期以上に、彼がこれまで様々なトレーニングを通じて進化してきたからである。
'10年に、体の動きや力などを効果的に刺激することによって神経の反応を促進し、高いパフォーマンスが得られるPNFというトレーニング方法を導入するなど、内海は自分に適していると感じたものは積極的に取り入れる柔軟性を発揮してきた。