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“スイーツ”と“ヒール”の間で。
真壁刀義、苦難のプロレス人生。

posted2015/07/23 10:55

 
“スイーツ”と“ヒール”の間で。真壁刀義、苦難のプロレス人生。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

ヒールとしての顔と、食レポをこなす“スイーツ真壁”の顔、そのギャップも彼の魅力だ。

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Number編集部

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Takuya Sugiyama

「今日は撮影、無いんだっけ? じゃあこれはいらないか(笑)」

 わざわざ私服の上から首に掛けてきてくれたトレードマークの鎖を外しながら、真壁刀義はそう言って苦笑いを浮かべた。

 Number882号『新日本プロレス、No.1宣言。』での総選挙で5位に食い込んだ人気レスラーは、そのいかつい風貌とは裏腹に、常に周囲への気遣いを忘れない。

“スイーツ真壁”の愛称で情報番組での食レポを担当し、その軽妙なトークが人気を博す。SNSでのファンとの交流も大切にし、誕生祝いのメッセージも贈るなど、その柔軟さは枚挙に暇がない。

 取材中の我々にも「エアコン、寒くないすか?」と何度も聞いてくれ、こちらが恐縮してしまうほどだった。

不遇な時代を経て、真壁を変えたターニングポイント。

 だが、そんな真壁の優しさの裏には、彼が経験してきたプロレス人生の厳しさがある。元々、柔道やアマレスのエリートではない。'96年の新日本プロレス入門後も、同期や後輩が次々とブレイクしていく傍らで、長い間、長州力の付き人を務めていた。棚橋弘至らと同様に学生プロレスで活躍していたことも、当時は公言できなかったのだという。

「そのことを敬礼野郎(永田裕志)が長州(力)さんに言いやがってね。いつかぶっ殺してやる! と思いましたよ(笑)」

 いまのスイーツ好きも、当時の厳しい下積み時代の唯一の“息抜き”だったことが大きく影響している。地方へ巡業に行っても遊びに行く場所などない。もちろんおカネもない。そんな中で、会場近くの喫茶店でケーキを頬張る時だけが、真壁のほっとできる瞬間だったのだという。

「店に女の子がいると、それだけで嬉しかったりね。道場では外出禁止だったからひたすら窓から通りを眺めてるしかなかった。道場の前はほとんど人が通らないんだけど(笑)」

 '97年のデビュー後には、プエルトリコでの武者修行を経て帰国。ここから真壁は“ヒール”へと変貌していく。きっかけは'06年5月21日、新日本の別ブランド興行『LOCK UP』でのことだ。メイン終了後に乱入した真壁は、アパッチプロレス軍のエース・金村キンタローに「真壁は呼んでないよ」とあしらわれ、観客からは笑いが起こった。

「あの言葉と客の失笑はいまだに覚えていますよ。俺は新日本の選手なんだって胸張っていたけど、実は会社に守られていただけ。そう気づいた瞬間がスタートで、俺のターニングポイント」

 自ら振り返るように、真壁はそこからアパッチに参戦し、デスマッチに傾倒していく。そうして外敵としてブーイングを浴び続ける中で、あることに気付いたのだという。

【次ページ】 「新日本に足りねえのはこれだ」

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