北京五輪的日報BACK NUMBER
指導者の条件。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2008/08/24 00:00
23日、シンクロナイズドスイミングが終了した。18日のデュエットテクニカルルーティンからはじまり、今日のチームフリールーティンまで、1日の休みをはさみ6日間。
今日、対照的な表情を目にした。すべての感情を殺ぎ落とした能面のような表情の日本選手たち。そして喜びから泣き崩れる中国の選手たち。
両極の表情から、指導者について考えさせられた。
日本はデュエットで銅メダル、チームは5位。1984年のロサンゼルス五輪で正式種目に採用されて以来、必ず立っていた表彰台をチームで譲ることになった。
いちばん大きな原因は、指導力にあったと思う。
日本はアテネ五輪を終えて、指導者の世代交代を図るため、長年ヘッドコーチとして指揮してきた井村雅代氏が退任。以降、若い世代のコーチが指導してきた。
だが今春のプレ五輪や日本選手権で仕上がりに問題があると分かり、このままでは五輪で戦えないと分かった。そこでデュエットについては、井村氏とともにシンクロ委員長として長年シンクロ界を支え続けてきた金子正子氏が指導に乗り出し、プログラムを作りかえるなど、五輪に向けて再始動した。
以上が、北京への足取りである。
結果、デュエットは銅メダルを獲得し、チームは切れを欠き、反則もおかしてしまい5位にとどまった。
金子氏はチームのあと、こう言った。
「今回、相当我慢して、若いコーチにチームを任せました。よくやってくれたと思う。五輪は尋常じゃないと何度も言ってきたけれど、それが今回よく分かったと思うし、次につながると思います」
1人のコーチが永遠に指導できるわけではない。いつか、コーチはかわらざるをえない。
だが、選手からすれば、ベストのコーチに指導してもらいたいと思うのは自然な感情だろう。アテネから北京までの4年、日本の指導スタッフは、選手の立場からしたら、ベストだったと言えるのだろうか。
日本にかわり、チームで表彰台に上ったのは、中国だった。コーチは井村氏である。開催国から、「メダルをぜひ取ってください」と依頼を受けての就任。中国はこれまで中堅どころといっていい程度だった。簡単に順位を逆転できないシンクロで、なまやさしい使命ではない。重圧は大きかったはずだ。でも成し遂げてみせた。
井村氏は期間中、常に多くの中国人の記者に囲まれる中、「選手にもっている力を出させてあげるだけです」と終始落ち着き払っていた。選手が失敗しても動揺したそぶりを見せなかった。修羅場といっていい場でのその姿を見ただけで、これまで数々のメダルを選手にもたらしてきた勝負師たるところを感じさせた。
ことはシンクロナイズドスイミングだけの話ではない。
選手にとって、指導者の存在はやはり大きい。