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自分で自分をあきらめないで……
背泳ぎ・寺川綾、劇的な復活劇。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakao Fujita

posted2009/04/27 07:02

自分で自分をあきらめないで…… 背泳ぎ・寺川綾、劇的な復活劇。<Number Web> photograph by Takao Fujita

 あきらめないこと、自分の可能性を信じ続けることの大切さはしばしばスポーツの現場で耳にする。しかし実践することは、スポーツの世界にかぎらず、たやすくはない。

 それでもときに、実践した選手の姿、困難を乗り越えた瞬間を目にすることがある。それは強く印象付けられる。

 4月16~19日に行なわれた競泳日本選手権は、盛況のうちに終わった。所属クラブや学校の応援団による声援がこだまする中、生まれた日本記録は20個。北島康介の欠場、五輪メダリストたちが引退したあとの大会にもかかわらず、結果は上々だった。

 世界記録に迫ろうかという好記録もいくつか見られる中で、目をひいた選手がいた。背泳ぎ50、100、200mの3種目を制した寺川綾である。

高校2年生で華々しいデビューを飾ったが……

 寺川は2001年、福岡開催の世界選手権で五輪、世界選手権通じて初の日本代表となった。当時高校2年生、「新星登場」と大きな脚光を浴びた。02年のパンパシフィック選手権では200mで銀メダル、04年のアテネ五輪にも出場し、200mで8位となっている。

 だが、その後の足どりは順風満帆とはいかなかった。層の厚い背泳ぎにあってライバルに敗れることが増え、07年3月の世界選手権代表から外れる。試行錯誤の末、拠点をアメリカに移したこともある。

 北京五輪代表選考会を兼ねた昨年4月の日本選手権でも、中村礼子、伊藤華英におよばず五輪連続出場はかなわなかった。

 レース直後、「今後どうするかはまだ分かりません」と語った寺川に、「これでやめるのかなあ」とつぶやいた記者の言葉が記憶に残っている。そのとき23歳。競泳の過去多くの例からすれば、引退の道を考えてもおかしくはなかった。

 日本選手権のあとも競技生活を続行するが、練習環境が定まらないなど、不安定な日々が続いた。

 転機となったのは、年が明けてからのことだ。北島康介、中村礼子の五輪メダリストを育てた平井伯昌コーチに指導を仰ぐことになったのである。

平井コーチが、自らを信じる大切さを教えてくれた

 迎えた日本選手権最初の種目は100m。寺川はスタートから飛び出すと、前半をトップで折り返す。だがターン後、伸び盛りの酒井志穂が追い上げ、さらに伊藤華英が酒井をかわし追い上げる。しかし寺川は首位を譲らずゴール。自身初めて1分を切るタイムで、実に7年ぶりの優勝を遂げると、涙をこぼした。

 翌日の50mでは世界新記録まで0.11秒に迫る日本新記録。最終日の200mも優勝。

 背泳ぎ3冠で7月のローマ世界選手権代表に選ばれた。

 寺川は、平井コーチから「自分を信じることの大切さ」を教わったと語る。

 たしかに平井氏の手腕によるところも大きいだろう。それとともに、いやそれ以上に、「もう一度世界で戦いたい」、そんな思いをかかえて平井氏の指導を仰いだ寺川の執念あってこそなのではないか。

「自分で自分をあきらめずに、自己ベストを出せてよかったです」

 100m優勝後の言葉である。

 再び世界の舞台となるローマ。メダルを狙える、といえるレベルにはまだ達していないかもしれない。しかし自分の中にあった壁を乗り越えた経験は決して小さくない。

 世界選手権の抱負を尋ねられて寺川はこう言った。

「エースになれるように頑張りたいです」

 自分の可能性を今はっきりと、信じているのだ。

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