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臆病者の未来。 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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posted2005/03/03 00:00

臆病者の未来。<Number Web> photograph by AFLO

 臆病者には、未来は開けない。クライフはそう嘆いているようだった。

  「クーマンはバルセロナの監督就任を断って、アヤックスに留まった。その判断が間違いだったんだ」

  ヨハン・クライフは、テレグラフ紙で連載しているコラムの中で、かつての教え子をこう断じたのだった。

2月25日、ロナルド・クーマンは、UEFAカップから敗退した責任をとってアヤックスの監督を辞任した。国内リーグではPSVとAZに大きく差をつけられ、優勝争いどころか来季のチャンピオンズリーグ出場も難しくなっている(チャンピオンズリーグ出場権は2位以内)。辞任も仕方のないことだろう。

 2001年12月にアヤックスの監督に就任したクーマンは、そのシーズンに国内リーグで優勝。翌年のチャンピオンズリーグでは若手中心のチームを、チャンピオンズリーグでベスト8に導いている。03−04シーズンでもリーグ優勝し、クーマンの監督としての地位は揺ぎないものになっていた。

 だからこそ2003年夏には、バルセロナが「監督になってくれないか」とクーマンに打診したのだ。だが、クーマンは断った。さらに2004年夏、クーマンはオランダ代表監督の要請も辞退している。当時のバルセロナとオランダ代表は調子が上がらず、監督になるのは火中の栗を拾うようなものだったからだ。順調に監督としてのキャリアをスタートしていたクーマンとしては、バルサやオランダの熱狂的なファンのヒステリックな反応にさらされたくはない。リスクを避けてアヤックスに留まることを選択した。

 しかし、大きなチャンスを目前にしながら、安定を選んだことにクーマンの失敗があった。アヤックスの監督になった当時はただの若手だったファンデルファールトやスナイデルはオランダ代表に選ばれるようになり、次第にコントロールすることが難しくなっていった(スナイデルがクーマンに中指を立てて「ファックユー」と叫んだことは、すでにこのコラムでもお伝えしたとおり)。クーマンは彼らをベンチに置くことで、再びチームに秩序を取り戻そうとしたが、それがより混乱を招き、今季のアヤックスはチャンピオンズリーグばかりか、国内リーグでさえもタダのチームになりさがってしまったのである。クーマンの辞任は時間の問題だった。

 今のところ失業したクーマンに、監督をオファーするチームはない。クーマンも「今はエネルギーが沸いてこない」と語っており、しばらくは休養することになりそうだ。だが、傷ついたとはいえ野心に満ちたクーマンが、いつまでもおとなしくしているわけがない。

 1988年ユーロの準決勝でドイツ代表に勝利したあと、ドイツのファンに向かって尻を突き出して、ドイツ代表のユニフォームでウンチを拭くふりをしたほど傲慢だったクーマン。監督として臆病になるのは彼らしくない。今回の経験を糧に、今度こそは大きなチャンスに躊躇せずに、新たな一歩を踏み出してくれるはずだ。

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