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ワールドクラス競演。 写真 

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吉井妙子

吉井妙子Taeko Yoshii

PROFILE

posted2005/11/24 00:00

 トリノ五輪を3カ月後に控え、日本スピードスケート界が戦闘態勢に入っている。冬季五輪80年の歴史のなかでも、今大会は最も選手層の厚さを感じさせる。'98年の長野五輪では、清水宏保が500mで日本人初の金メダル、1000mでも銅を手にし、女子も岡崎朋美が500mで銅メダル。日本短距離界の実力を世界に見せ付けたが、トリノではそれ以上の結果も期待できるほどだ。

 日本スケート連盟の鈴木恵一強化部長も言葉は控えめながら、胸を張る。

 「最低でも3つ。できれば5つは獲りたい」

 スピードスケートは、黒岩彰や橋本聖子が活躍した'88年のカルガリー大会以降、複数のメダルを獲得してきたため、日本人にとって得意種目と思われがちだが、実は、大会出場国の中では最も環境に恵まれていない。

 岡崎がしみじみと言ったことがある。

 「富士山の五合目くらいにリンクがあると、環境もずいぶん変わるんですけどね」

 日本は、スケート強豪国のなかで最も緯度が低い。そのため、氷上で練習できる期間が限定される。一方のアメリカやカナダには、一年中滑ることができるリンクが常設されているし、スケートが国技のオランダでは、選手の育成システムが確立され、実力選手を次々と輩出する土壌がある。

 圧倒的に不利な環境にいる日本人スケーターが、世界と対等に戦っているのは、オリジナルの智恵や工夫を繊細な技術に昇華してきたことに加え、気が遠くなるようなハードなトレーニングを課してきた成果である。日本人は外国人勢に比べ、筋肉の絶対量が少ない。しかし、歴代の日本人選手たちは、パワーが筋繊維の表面積に比例することに着目し、そのハンディを克服した。負荷の高いトレーニングで一度筋肉を破壊し、再生させることによって筋繊維一本一本を太くさせ、筋肉の面積を広げれば、さらにパワーが生まれる。人間の“超回復”という生理を利用したのである。男女を問わず、日本人スケーターの太腿が異様に太いのはそのためだ。

 オフシーズンの気の遠くなるような厳しいトレーニングを経て、筋肉の鎧をまとった選手たちが勢ぞろいし、男女それぞれ10人ずつの五輪出場枠を争うことになる。

 期待される短距離の選考基準は、11月、12月のW杯前半戦と年末に行われる全日本スプリント選手権の成績。W杯代表選考を兼ねた全日本距離別選手権が10月下旬に行われ、五輪シーズンが開幕した。

 トリノで金メダルが確実視されている清水は、五輪出場が内定しているため、この大会を調整レースととらえた。500mで8位、1000mでは5位に終わったが余裕しゃくしゃく。昨季は、試合のたびに靴を変え、タイムや成績にブレーキをかけた。勝負に出るのかと思った今季、今度はブレード(刃)をいじり始め、絶好調の自分にタガをはめようとする。五輪前に注目されたくないというベテランならではの計算があるからだ。

 「五輪までにまだ実験したいことがあるんです。本番では、ウォザースプーンとの戦いになると思う。でも、加藤君とワンツーフィニッシュができたら最高なんですけどね」

 清水が「実力は本物」と認める20歳の俊英・加藤条治も、昨季の世界距離別選手権で優勝し、五輪内定を決めている。今大会は、500mで2本とも35秒台前半にまとめて優勝。滑りは天才的といわれる。しかもプレッシャーに強い。試合直前まで笑顔を崩さないのは加藤ぐらいだ。

 「何も考えていないんですよ。五輪になったら緊張するのかな……。よく分からないや」

 この2人に加え、1000m、1500mを制した今井裕介も切符はほぼ確実。五輪出場3度目だけにメダルも期待される。オフには清水と一緒にトレーニングをしたというだけあって、身体は完璧に仕上がっていた。

 清水、加藤が君臨する男子と違い、女子は実力が拮抗している。500m、1000mの枠はそれぞれ4人。500mは、今回、1~3位に入った吉井小百合、大菅小百合、岡崎がほぼ確実。残り1枚を渡辺ゆかり、新谷志保美で争うことになる。1000mは優勝した岡崎、2位の外ノ池亜希と、吉井が確実視され、大菅、田畑真紀、新谷で最後の椅子を競う。

 女子短距離陣の熾烈な戦いは、そっくりそのまま五輪の縮図と見ていい。絶対的な力を誇っていたルメイ・ドーン(カナダ)が引退、昨季W杯総合2位のコチュガ(ベラルーシ)が薬物使用の疑いで出場できないため、日本人選手のライバルになるのは、王曼利(中国)ぐらいしかいない。

 昨季のW杯総合成績で判断するなら、総合優勝の王に続くのは、岡崎、吉井、大菅、渡辺で、上位は日本人選手が占める。ちなみに王は岡崎の大ファン。同走すれば、心理的に岡崎に優位に働く。試合巧者のティメル(オランダ)、ガルブレヒト(ドイツ)、シミオナート(イタリア)なども台頭してくるだろうが、その一方で、500mの表彰台を日本選手で独占という可能性もある。

 鈴木強化部長が語っていた「最低3つのメダル」というのは、清水、加藤、岡崎だろう。そこに今井、吉井、大菅が加わる。20歳の吉井はすでにベテランのようなフォームを手にし、勝負度胸も一流。自転車でも日本記録を樹立している大菅は、身体能力の高さに加え、ソルトレークでの失敗の経験を、大きな武器とするはずだ。ここ一番に強さを発揮する渡辺ゆかりも、トリノにピーキングを合わせ始めた。

 中長距離は日本人には不向きな種目といえるが、1500mでは田畑、3000mでは19歳の石野枝里子が世界のトップグループにあと一歩のところまでこぎつけている。

 環境に恵まれず、身体的にもハンディを背負っている日本人選手たちが、智恵と工夫で世界に辿り着く姿は、他の競技の選手たちにも大いに参考になるはずだ。

 スピードスケートは贅沢な五輪になる。

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