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「小林繁さんが『40万円くらいでガタガタ言うな!』と」若菜嘉晴が阪神で学んだ“人生勉強”「小林さんの人生はネトフリでドラマにできますよ」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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photograph byBungeishunju

posted2026/08/17 11:04

「小林繁さんが『40万円くらいでガタガタ言うな!』と」若菜嘉晴が阪神で学んだ“人生勉強”「小林さんの人生はネトフリでドラマにできますよ」<Number Web> photograph by Bungeishunju

江川卓とのトレードから奮闘を続けた小林繁、そして若菜嘉晴も阪神で優勝することのないままチームを去った

40万円くらいでガタガタ言うな!

 独特の美学を持ちスマートにふるまっていたが、近しい人間には素顔をさらけ出すこともあったし、親身になってくれることも多かったと若菜は言う。

「移籍1年目でいい成績を残したから、年俸を上げてもらおうと思って交渉の席で粘ったんですよ。当時は1000万円が一流選手のステータスだと言われていました。でも、球団の提示は960万円。揉めていることを知った小林さんが助け船を出してくれました」

 小林は若菜を連れて北海道に飛んだ。

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「小林さんは『40万円くらいでガタガタ言うな』と。僕としたら、金額ではなくて、ステータスにこだわっていたんですけど。北海道に数日間行ってイベントとかに出て、そのあとはコマーシャルの仕事を紹介してくれて、それと同じくらいの金額を稼がせてくれました。そういう優しいところもあったんですよ」

小林さんの人生はドラマになるくらいだった

 巨人で62勝、阪神で77勝を挙げた小林のプロ野球人生は30歳で幕を閉じたが、ほかの選手の何倍もの濃さがあった。

「現役時代も引退してからも、小林さんは波乱万丈でした。僕も20年の間にいろいろなことがあったけど、まったく比較にならない。ネットフリックスのドラマになるんじゃないかと思うくらいですね」

 プロ野球を引退したあと、小林はスポーツキャスターに転身。参議院議員選挙に立候補するも、落選。現役時代から手掛けていた飲食や不動産事業もうまくいかなかったと言われている。

 1997年に近鉄バファローズの一軍投手コーチとして野球界に復帰。2001年のリーグ優勝に貢献している。

 2003年に自己破産を申請。

 2009年、北海道日本ハムファイターズの二軍投手コーチに就任。翌2010年1月17日に自宅で倒れ、心不全のために死亡。

 小林は激動の人生を57歳で終えた。

〈つづく〉

#17に続く
甲子園「史上最強の公立高」箕島はいかに1979年“春夏連覇”を成し遂げたか…前年「せいぜいC評価」からの成長のワケをエースが語る
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#30
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#18
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