プロ野球PRESSBACK NUMBER
1979年「実は僕も江川卓のトレード候補だった」“空白の一日”を巨人の左腕エースはどう見ていたのか「江川本人が気づくわけないんだから」
posted2026/07/31 11:01
球界のみならず、日本中を揺るがした江川卓の「空白の一日」の発表。一連の騒動、そして江川という男を当事者の巨人のメンバーはどう見ていたのか?
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
KYODO
100年を超える歴史を持つ高校野球、創設101年の東京六大学、そして、一昨年90周年を迎えたプロ野球。これだけの長い歴史を誇る日本野球の中で、1979(昭和54)年ほどドラマチックな年はなかった。
1978年ドラフト会議の前日、“空白の一日”で読売ジャイアンツと契約を結んだ“怪物”江川卓。コミッショナーの要望により、いったん阪神タイガースに入団した彼との交換で、巨人の次期エースと目された小林繁がライバル球団である阪神へ電撃トレードされることが発表されたのはキャンプイン直前のことだった。
江川の身代わりとなった小林はタテジマのユニフォームで躍動して22勝を挙げ、最多勝、沢村賞を獲得する活躍を見せた。江川は6月にデビューを果たし、9勝をマークしたものの、チームは5位に沈んだ。
ADVERTISEMENT
前年に球団の経営権を取得した西武グループ(国土計画)によって埼玉県・所沢に西武ライオンズが誕生し、田淵幸一、野村克也など超一流選手が集まって、パ・リーグに新しい風が吹いた。
4つの歴史的事件の証人を追う
春のセンバツでは尾藤公監督に率いられた箕島高校(和歌山)が優勝を飾り、夏の甲子園で行われた星稜(石川)との3回戦では延長18回の激闘を制し、決勝で池田高校(徳島)を下して公立校として史上初めての甲子園春夏連覇を果たした。
プロ野球のペナントレースを制したのは広島東洋カープと近鉄バファローズだった。実力伯仲の両チームの日本シリーズは3勝3敗で第7戦までもつれ込み、広島のリリーフエース・江夏豊の活躍によって勝負が決まった。
そして、翌1980年「江夏の21球」という空前のノンフィクションを収録した新雑誌『Number』が創刊される——。
この4つの歴史的な出来事の裏ではどんなことが起こっていたのか? それぞれに関わる人物たちの証言を元に、日本野球が最もアツかった「1979年」を振り返る。

