甲子園の風BACK NUMBER
「金沢の町から人がいなくなった」“高校野球史上最高の試合”死闘の結末で何が起きたか…星稜の名将は「自分の器の小ささがよくわかりました」
posted2026/09/09 11:05
1979年、箕島に星稜が挑んだ一戦は延長にもつれこみ、次々と思いもよらないプレーが出る
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Sankei Shimbun
1979年夏の甲子園、箕島と星稜の一戦は、延長に入ってもお互い譲らない攻防のなかで、次々に劇的な展開が訪れる。星稜の山下智茂監督が、死闘をどう指揮したか回想した。〈連載『日本野球1979』「箕島春夏連覇編」全4回の3回目/つづきを読む〉
1979(昭和54)年夏の甲子園で行われた星稜と箕島の一戦が「高校野球史上最高の試合」と言われるのは、「ドラマ」という言葉が陳腐に思えるほど、劇的なことが次々に起こったからだ。
16回の攻防がクライマックスだったと言っていいだろう。
この回表、星稜はワンアウトから四番の川井直之がデッドボールで出塁。五番の堅田外司昭のヒットでチャンスを広げた。六番が倒れツーアウトとなったが、七番の山下靖がライト前に弾き返して3対2。またリードを奪うことに成功した。あとはこの1点を守るだけだ。
「最後のひとり」のファウルフライが……
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箕島の打順は四番の北野敏史から。春のセンバツで史上初のサイクルヒットを放った強打者だが、この日は快音を響かせることができない。二塁ゴロに倒れてワンアウト。続く五番の上野敬三が三振し、箕島にはもうあとがなくなった。
六番・森川康弘の打球が一塁側のファウルグラウンドに上がった……。やっと決着がついたというざわめきがすぐに悲鳴に変わった。ファーストの加藤直樹が転倒し、捕り損ねたのだ。
加藤は2025(令和7)年に甲子園歴史館で行われたトークイベントで「あの瞬間」をこう振り返っている。

