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無意識が生んだ至高の泳ぎ。元競泳日本代表・入江陵介とスポーツフォトグラファー・森田直樹が語る“極限の瞬間”

posted2026/09/25 11:00

 
無意識が生んだ至高の泳ぎ。元競泳日本代表・入江陵介とスポーツフォトグラファー・森田直樹が語る“極限の瞬間”<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

森田氏が魅了されたレース直前の極限の集中状態にある入江陵介の目力。男子200m背泳ぎ決勝(ジャカルタ・パレンバン2018アジア競技大会) ©Naoki Morita/AFLO SPORT

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

PROFILE

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Shigeki Yamamoto

「アジアのオリンピック」と呼ばれるアジア競技大会は、アジアの覇権を争う戦場であると同時に、独特の重圧と熱気が渦巻く特別な場所だ。その激動の歴史の中で、2006年から2023年まで5大会連続出場という稀有な足跡を残したスイマーがいる。背泳ぎの求道者、入江陵介である。

 入江は2024年、34歳で現役を終えるまで日本競泳界のトップに立ち続けた。30代中盤まで第一線で戦えたのは、五輪で金メダルに届かなかった悔しさを抱えながらも、それを前向きな目標へと変えていける心の強さがあったからだ。

 キャリアの終盤には、「次の世代に何を残せるか」というチームへの貢献を軸にするようになった。その背景には、彼がずっと大切にしてきた「スポーツは、アップダウンがあるからこそ物語になる」という揺るぎない考えがある。

 入江の成熟を象徴するのが、過去の自分に頼りすぎない姿勢だ。調子を落とした時でも、全盛期の映像を見すぎないようにしていたという。

「変わり続ける体で昔のイメージに固執すれば、むしろ前に進めなくなります。だからこそ、その時の自分の体と向き合い、その都度、現実的な目標をつくり直していました」

「世界一美しいフォーム」の秘訣

 そんな彼の代名詞といえば、誰もが称賛を惜しまない「世界一美しいフォーム」だ。

 無駄をそぎ落としたシルエットには軸のブレない芯が通っている。その水面を滑るような静かで研ぎ澄まされた躍動は、スポーツ写真の世界においても、どこを切り取っても絵になる存在として確かな価値を築いてきた。

 しかし驚くべきことに、入江本人はその美しさを意識して泳いだことがないという。

「正直、綺麗に泳ごうと思っていたわけではなく、自然に自分の体と得意な動きが合っていたのが自分の泳ぎで。だからこそ長く同じフォームで泳げたのかなと思います。泳ぎは意識しすぎると、どこか自分のものではなくなったり考えすぎてしまう。そういった意味でも、無意識の中で動けていたことが大きかったですね」

 無意識で動ける境地こそ、技術がもっとも無駄なく、最大限に発揮される理想形だ。

 美しさとは、水の抵抗を徹底的にそぎ落とし、余計なエネルギーを使わないことで生まれる効率の表れでもある。入江の泳ぎが「教科書」と呼ばれるのは、身体のつくりと水の流れがもっとも自然にかみ合う地点に、彼のフォームが収まっているからにほかならない。

レンズ越しに捉えた「極限の集中」と「目力」

 インタビューにあたって、2人それぞれにこれまでのアジア競技大会で印象に残っている写真を選んでもらった。

 この稀代の被写体を長年レンズ越しに見つめてきたフォトグラファーの森田直樹氏は、入江の泳ぎの魅力を視覚的に分析する。

「どのフォトグラファーもそう感じていると思いますが、これまで撮影してきた背泳ぎの選手のなかで一番フォームが美しいです。入江さんに選んでいただいた杭州2022(開催は2023年)男子100m背泳ぎ決勝も、僕が選んだジャカルタ・パレンバン2018男子50m背泳ぎ決勝の写真を見ても分かるように、フォームが全く乱れず、手の先まできれいに伸びている。だから水しぶきもほとんど上がらない。本当にどの写真も美しいです。実は、他の選手だと手前側に水しぶきが上がってしまうため、ピントが合わないこともあります。でも、入江さんを撮っているときはそういうことが全く起こらない。本当に撮影しやすいんです」

 完璧なフォームが描く水の放物線。その静かな躍動の背後には、レース直前に訪れる極限の集中状態がある。森田氏がジャカルタ・パレンバン2018男子200m背泳ぎ決勝のレース直前に撮影した1枚に、静寂の中で鋭く研ぎ澄まされた姿が浮かび上がっている。

 会場が息をひそめるように静まり返る一瞬。アスリートは深い集中の底へ沈んでいく。フォトグラファーは、その内側で何かが動き出す気配を感じ取りながら、そっと指先をシャッターに添える。

 森田氏が入江の撮影において最も重きを置いてきたのは、彼の目力だという。

「入江さんがレース前に集中している表情は、特に目力を強く感じます。そこが写真に表れるようにこだわって撮影しました。気持ちのスイッチが入っているところが、競技者としての魅力が一番出ている場面だと思うんです」

自分のレーンを見つめていた

 まっすぐ前を見据えるその視線。入江は一体何を考えていたのだろうか。

「スタート前は、最後に集中力を高めて自信をぶらさないようにしていました。基本的には自分のレーンを見つめていましたね。やっぱりスタートの瞬間は一番緊張する瞬間なので」

 スタート前のルーティンはイヤホンで音楽に没入する者、大声を出す者、笑顔を見せる者と選手によってさまざまだが、入江のクールな表情は、感情を抑えているというより、内側のエネルギーに静かに集中している姿だった。

 森田氏はその落ち着きに驚嘆する。

「どれほどの時間を重ねたら、あれほどの静けさを身につけられるのだろうと思うほど、落ち着きがありました。試合後も整っていて、記録を見つめる姿まで美しい。身体の質感まで澄んでいて、思わず見入ってしまうほどでした」

 そのぶれない姿勢こそが、入江を長く世界のトップに立たせてきた。感情の波を静かに整え、自分のレーンという自分の世界だけに意識を向ける。そのプロセスがどの瞬間も形として美しく残る、彫刻のような存在感につながっている。

過酷な「競争の中」で一瞬を捉える。フォトグラファーの執念とキヤノンのサポート

 一方で、アスリートの精神の静寂を捉えるために、フォトグラファー側には熾烈な戦いが存在している。

 スポーツフォトグラファーにとって、とくに国際大会の競泳会場は過酷な競争の場である。撮影ポジションは厳格に制限されている。その不自由さの中で、いかにして究極の「一枚」を切り出すか。

 特に50m種目は残酷なまでの一発勝負だ。森田氏が続ける。

「50mはほぼ一発勝負。競泳は水しぶきが激しくピントを合わせるのが難しいのですが、入江さんの泳ぎはしっかり押さえることができました。スタート前も、背泳ぎだと(5mを示す)旗があるので実は撮りづらくて。ちょうど顔と旗が被る時があるんですよ。ゴーグルを着けていない時の生の表情を押さえたいので、そこは撮れるように、微妙に動きながら隙間を探して撮影しています。ポジション取りがめちゃくちゃ大事です」

 この執念を支えるのがキヤノンのテクノロジーとサポート体制だ。

「一瞬一瞬の動きを撮っていかないといけないので、キヤノンのカメラを使用していて、ピントの精度への安心感は大きいです。CPS(キヤノンプロフェッショナルサービス)の方たちが常駐しているおかげで、安心してレンズを借りたりメンテナンスを任せたりできる。これは困った時の駆け込み寺のようなものです」

 現代のスポーツ報道は、かつてないスピード感を要求される。現役時代、入江自身も自らのレース写真が報道される速さには驚いたという。

「優勝やメダルを獲ると、記事と同時にすぐ写真が上がっていましたから、そのスピード感にはいつも驚いていました」

伝えたい、捉えたい選手の熱量

 現役を引退した現在、入江は「伝える側」としての責任も背負い始めている。彼がインタビューや解説の現場で最も意識しているのは、「今、何に熱を持っているのかを大切にしたいと思っています」と選手たちの真の思いを汲み取ることだ。

 この姿勢は、森田氏の「負けたシーンさえも美しく残したい」という想いと共鳴する。

「勝った瞬間だけではなく、選手の個性が写る瞬間、会場の熱気や迫力をも捉えたい。写真を見ている人たちに現場の感情を伝えられることが、スポーツを撮影することの最大の魅力です」

 愛知・名古屋2026アジア競技大会でアンバサダーを務める入江は、次世代の台頭に目を細めている。

「若手が非常に頼もしく育っています。高校3年生の平泳ぎ・大橋信選手は北島康介さんを彷彿とさせる存在感があり、世界記録保持者のタン・カイヨウ選手にどう挑むかが楽しみです。また、パリ五輪の男子400m個人メドレーでメダルを獲った松下知之選手のような、安定感と勢いを兼ね備えた選手たちが、自国開催のアジア大会で何個の金メダルを獲り、どんな日本新記録を打ち立てるか。記録へのチャレンジを心から期待しています」

 一方で、森田氏の眼差しも愛知・名古屋2026アジア競技大会へと向けられている。

「選手一人一人をかっこよく撮りたいですね。単純なことですが、それが私の究極の目標です。現場で感じた熱量が、写真を通じて誰かの心に伝われば、これ以上の喜びはありません」

 記録はいつか塗り替えられ、栄光の瞬間は過去へと流れていく。

 しかし、入江が5大会にわたって水面に刻み続けた美学と、それを逃さず捉え続けたレンズの記憶は、消えることはない。水しぶきを上げずに進む、世界一美しい静かな推進力は、名古屋の舞台を目指す若き背中を、力強く押し始めている。

 スポーツが持つ、一瞬にして永遠の物語。そのバトンは、情熱を失わぬ者たちの手によって、次なる栄光へと引き継がれていくのである。

入江 陵介Ryosuke Irie

1990年1月24日生、大阪府出身。0歳から水泳をはじめ、中学入学後背泳ぎに絞る。16歳で初めて出場したドーハ2006アジア競技大会男子200m背泳ぎで優勝して以降、2023年まで5大会連続で出場し、計18個のメダルを獲得。'12年にはロンドン五輪で銀メダル2つ、銅メダル1つの活躍を見せた。'24年4月に現役引退を表明し、現在は日本オリンピック委員会のアスリート委員、多数のメディア出演などで幅広く活躍。9月19日から開催される愛知・名古屋2026アジア競技大会ではTBSアスリートアンバサダーを務める。

 

森田 直樹Naoki Morita

1993年1月16日生、奈良県出身。2014年、ビジュアルアーツ専門学校・大阪卒業後、アフロに入社。4年間のスタジオアシスタントを経て'18年よりアフロスポーツ所属。スポーツ選手の心情を追い、選手たちの努力、成長や挫折、感動を写真で表現することを目指す。スポーツ撮影を中心にポートレイトなどジャンルを問わず活動中。

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