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「あの試合が終わって『夏も優勝しようや』と」高校野球“史上最高の試合”箕島-星稜延長18回の死闘で起きたこと「星稜の思いに報いたい」
posted2026/08/27 06:02
高校野球史上最高の試合と呼ばれる箕島対星稜の“延長18回の死闘”。スコアボードが足りなくなって……
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元永知宏Tomohiro Motonaga
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JIJI PRESS
「江川トレード事件」、「西武ライオンズ誕生」、「箕島高春夏連覇」、「江夏の21球」……このすべてが起きたのが1979年である。今にして思えば、日本野球界の新たな勢力図の兆し、そしてスポーツ文化の変容の萌芽がこの年に見えていたとも言える。1980年『Number』創刊の前年、日本野球界の地殻変動を関係者への取材で振り返る大型連載! センバツで優勝した箕島の春夏連覇へ期待が高まる。そしてその夏、「高校野球史上最高の試合」が戦われることになる。〈連載『日本野球1979』第21回「箕島春夏連覇編」/つづきを読む〉
1979年、周囲の期待をよそに、箕島のエース・石井毅(現・木村竹志)は冷静だった。夏の甲子園出場が決まってから、春夏連覇に関する報道も増えたが、「今まで通り、淡々と」試合に臨んだ。
2回戦からの登場となった箕島は8月13日に札幌商業(南北海道)を7対3で破った。
「みんな、心のなかでは『夏も優勝しよう』と思っていたのかもしれませんが、それを口にする選手はいませんでした。それが変わったのはあの試合でした」
箕島ナインを変えた「あの試合」
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石井が語る「あの試合」とは、8月16日に行われた星稜(石川)との3回戦だった。
「延長18回の試合が終わって、『夏も優勝しようや』となりました。そうすることで星稜の選手たちの思いに報いることができる、そういう思いが芽生えました。本気モードに変わりました」
当時は、延長戦は18回まで。同点のままで終われば再試合、またはじめから試合がスタートすることになる。
「その後ルールが変わって、延長は15回までになり、タイブレーク制が導入されたことで、もうあんな試合は二度とないでしょうね。僕たちの人生にとって、本当に大きな意味を持つ18回でした」
第4試合に組まれた箕島と星稜との一戦は16時06分にプレーボール。箕島の先発はアンダースローの石井、星稜はサウスポーの堅田外司昭だった。箕島の指揮をとるのは尾藤公監督、星稜は山下智茂監督が選手を鼓舞した。

