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「あのとき、江川さんは初めて努力をしたんじゃないか」永遠のライバル・西本聖が語る“地獄の伊東キャンプ”「最後も巨人で…感謝しています」
posted2026/08/01 11:04
永遠のライバル江川の背中を追い、長嶋に鍛えられて球界を生き抜いてきた西本。プロ人生を振り返りその胸に去来するものとは
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Hideki Sugiyama
高校時代に名門・松山商業で鍛えられ、読売ジャイアンツに入団したあともチームメイトがあきれるほどの猛練習を自らに課した西本聖が「あれは本当にキツかった」と言うのは、長嶋茂雄監督が行った“地獄の伊東キャンプ”だ。
1979(昭和54)年、58勝62敗10分、勝率.483で5位に終わった巨人。チーム防御率はリーグ2位の3.85だったものの、チーム打率はリーグ4位(.259)だった。世代交代が求められていたが、チームの核となる選手は育っていなかった。
そこで10月28日から11月21日まで1カ月以上にわたって、静岡県伊東市で秋季キャンプが行われた。伊東スタジアムをメインで使用し、スタジアム近くにあったクロスカントリーのコースや急な上り階段などを使ったメニューが組まれた。
伊東キャンプの人選
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参加したのは、一軍で実績を残し始めた若手、これからレギュラー獲りを目指す中堅選手だった。
投手で参加したのは、9勝の江川卓、8勝の西本聖、2勝5敗6セーブの角三男、3勝2敗2セーブの鹿取義隆、4勝7敗の藤城和明、1976年ドラフト2位の赤嶺賢勇の6名。最年長は24歳の江川だった。
捕手は江川と同い年の山倉和博、26歳の笠間雄二。
野手陣は少し年齢が高かった。最年長は28歳、ショートの河埜和正(128試合出場、打率.228)、117試合に出場し打率.291の山本巧児。そのほか、中畑清(100試合出場、打率.294)、松本匡史(71試合出場、21盗塁)、22歳の篠塚利夫(76試合、打率.278)もいた。

