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阪神で「小林繁さんは孤独だった」正捕手・若菜嘉晴が語る“わずか30歳で引退”の原因とは「野球というより、人生に疲れていたんじゃないか」
posted2026/08/17 11:03
小林繁は1983年、わずか30歳で現役引退した。ラストイヤーにも13勝を挙げていた小林の胸中を若菜嘉晴はどう見るのか
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Sankei Shimbun
「江川トレード事件」、「西武ライオンズ誕生」、「箕島高春夏連覇」、「江夏の21球」……このすべてが起きたのが1979年である。今にして思えば、日本野球界の新たな勢力図の兆し、そしてスポーツ文化の変容の萌芽がこの年に見えていたとも言える。1980年『Number』創刊の前年、日本野球界の地殻変動を関係者への取材で振り返る大型連載! 江川卓とトレードで移籍した小林繁の素顔を、捕手だった若菜嘉晴はどう見ていたのか。〈連載『日本野球1979』第15回「江川トレード編」/つづきを読む〉
小林繁が22勝を挙げた1979(昭和54)年、阪神タイガースの年間の観客動員数は前年より25万人以上も増えたが、シーズン成績は61勝60敗9分、勝率.504で4位だった。
翌年、小林は37試合に登板し、280回も投げたが貯金はひとつだけ(15勝14敗)だった。チームは5位(54勝66敗10分、勝率.450)に終わっている。
1981年は67勝58敗5分、勝率.536で3位に上がったが(小林は16勝10敗2セーブ)、優勝には届かない。シーズン終盤の8月26日、小林とともにマウンドを守ってきた江本孟紀が監督批判をして現役を引退した。いわゆる「ベンチがあほやから」事件だ。
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「江本さんの『エモボール』を大洋ホエールズの田代富雄がまったく打てず、空振りばかりしていました。だから、『田代に打たれたらやめる』と言っていましたけど、打たれた翌年に江本さんは本当にユニフォームを脱ぐことになりました」
江本の引退が小林に与えた影響
1976年に阪神に移籍してきて以降、6年間で61勝を挙げた先輩がチームを抜けたことが、小林に大きな影響を与えたのではないかと若菜嘉晴は言う。
「小林さんには江本さんへの憧れがあったのかもしれません。ふたりともレコードも出したし、引退したあとにテレビの世界で活躍しました。江本さんが参議院議員になったあと、小林さんも選挙に出たしね」
1982年、若菜は73試合の出場に終わり、そのオフで阪神を退団することになる。

