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甲子園「史上最強の公立高」箕島はいかに1979年“春夏連覇”を成し遂げたか…前年「せいぜいC評価」からの成長のワケをエースが語る
posted2026/08/26 17:00
史上3校目、公立高としては史上唯一の春夏連覇を成し遂げた1979年の箕島高。その強さの秘密をエースだった石井毅が語った
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元永知宏Tomohiro Motonaga
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KYODO
「江川トレード事件」、「西武ライオンズ誕生」、「箕島高春夏連覇」、「江夏の21球」……このすべてが起きたのが1979年である。今にして思えば、日本野球界の新たな勢力図の兆し、そしてスポーツ文化の変容の萌芽がこの年に見えていたとも言える。1980年『Number』創刊の前年、日本野球界の地殻変動を関係者への取材で振り返る大型連載! 箕島の春夏連覇の立役者となるエース、石井毅。1977年のセンバツ優勝はスタンドで観ていた石井が、いかにして主戦投手の座をつかんだのか?〈連載『日本野球1979』第17回「箕島春夏連覇編」/つづきを読む〉
1978(昭和53)年の大みそかに行われた第20回日本レコード大賞で大賞を受賞したのはピンク・レディーの『UFO』。翌春のセンバツの入場行進曲に選ばれたのは松山千春のヒット曲『季節の中で』だった。
当時の大卒社員の初任給は約10万円、たばこの人気銘柄であるセブンスターの値段は150円(現在は600円)。
和歌山の県立高校が高校野球界を引っ張っていた
その時点で、大リーグでプレーしたことがある日本人は村上雅則(南海ホークス→サンフランシスコ・ジャイアンツ→南海ホークス)ひとりだけ。日米のレベル差は歴然としており、21世紀になってからメジャーのホームラン王を獲得するような日本人選手が出現することなど誰も想像さえしていなかった。
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日本の野球ファンの注目は、どの球団がペナントレースを制するのか、にあった。読売ジャイアンツのV9(リーグ9連覇、9年連続日本一)は1973年に終わり、17年間にわたってプロ野球をリードしてきた長嶋茂雄は現役を引退し監督になっていた。
そして1970年代の高校野球の中心にいたのが、和歌山県有田市にある県立の箕島高校だった。1968年にエース・東尾修の活躍で甲子園初出場を果たしたあと、1970年に春のセンバツで初優勝。1977年春にも日本一になった。

