プロ野球PRESSBACK NUMBER
「小林繁さんが『40万円くらいでガタガタ言うな!』と」若菜嘉晴が阪神で学んだ“人生勉強”「小林さんの人生はネトフリでドラマにできますよ」
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byBungeishunju
posted2026/08/17 11:04
江川卓とのトレードから奮闘を続けた小林繁、そして若菜嘉晴も阪神で優勝することのないままチームを去った
「若い頃に行ったローダイという街は、サンフランシスコ近郊にある、日系人が多いところ。体当たりしてくるランナーを僕がホームでブロックして、ものすごく評価されました。そのあとは、クリーニング代がタダになりました(笑)」
マイナーリーグにいるのはアメリカ人だけではない。中南米やメキシコから来た選手も多かった。
「言葉としては英語だけじゃなくて、スペイン語をしゃべる選手が多かった。僕は英検も持っていたので、コミュニケーションには特に苦労しませんでした。相手が言いたいことはなんとなくわかったし、単語を並べれば自分の言いたいことも伝わりました」
ADVERTISEMENT
29歳で挑戦した3Aのチームでの経験も学びになったという。
「メジャーリーグが見えるところまでたどりつきながら、もう一歩届かない選手が多かったですね。彼らはとにかくハングリーで、日本みたいに1年間の給料が保証されているわけでもなくて、途中でクビになることもありますから。アメリカの野球から学んだことはたくさんあります」
若菜にとっての小林繁
プロの世界で20年間プレーし、その後もコーチ、解説者としてさまざまな選手と接してきたなかで、小林繁の存在は特別だった。
「あの男と一緒にいると、本当に面白かったですよ。ソニーから『ウォークマン』が出たのは1979年7月なんですけど、発売される前にちっちゃなカセットで音楽を聴いていたのが小林さんですよ」
大丸百貨店での勤務経験があるだけに、ファッションの流行にも敏感だった。
「ルイ・ヴィトンのバッグを持って、カルティエの三連リングとかつけていました。プロ野球選手はパンチパーマで白のスーツを着る時代だったから、ものすごく目立ちました。いつも見られることを意識していたし、本当にスマートだった」
小林は鳥取県出身だが、都会的なムードをかもしだしていた。
「大丸百貨店の呉服売り場で働いていたせいか、物腰も言葉遣いもやわらかかったですね。体は細身だし、いつも落ち着いた感じじゃないですか。そのせいか、女性からの人気はすごかった。
試合中でもあまりしゃべることはないし、感情を表に出すことは少なかったんだけど、一度だけ、ヤクルトスワローズ戦でマウンドから降りてベンチに向かっていったことがあります。当時は、相手からのヤジがひどくて、それが許せなかったんでしょう」


