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なぜ張本勲はプロ野球監督にならなかったのか? 「息子が死んでしまう」母は心配、「いずれ監督に」本人は前向き発言…ロッテと日本ハムがオファーしていた
posted2026/10/03 11:03
日本プロ野球の最多安打数「3085本」の記録を持つ張本勲
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
BUNGEISHUNJU
1981年秋、張本勲“監督”誕生の予感がスポーツ紙を賑わせていた。
3000安打の大打者はどんなチームを作るのか――。ファンは期待に胸を膨らませた。
実は、張本は指導者として、チームを立て直した実績を持っていた。
兼任コーチも経験…張本の指導力
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パ・リーグの前後期制が始まった73年、前期5位の日拓ホームフライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)は田宮謙次郎監督を解任し、二軍監督の土橋正幸を昇格させた。新指揮官の要請で、33歳の張本は4番を打ちながら、ヘッドと打撃コーチを兼任した。
今では考えられない「一人三役」である。7月13日、37歳の土橋監督とともに、会見に臨んだ張本は意気込みを語った。
〈指導者としても立派にやってみせる。ことしのキャンプでは打込みが足りなかった。こんな結果は目に見えていた。サマー・キャンプでは、夜明けの打ち込みをたっぷりやらせる。朝の六時から大杉、阪本ら主力打者をビシビシしごいて納得出来るまでやらせるつもりだ。やらないやつもワシはやらせてみせる〉(73年7月14日付/スポーツニッポン)
張本は就任早々「アイディアマン」としての才能を見せる。後期開幕前、長野での夏季キャンプで午前6時からの特打を考案した。
〈早朝は暑さよけになるし頭もさえとる。それにワシにしてもそんな時期があったが、過去の大選手の意見でも練習が身につくことこのうえなしじゃ〉(73年7月17日付/スポーツニッポン)
2008年、西武が大久保博元コーチの発案で「アーリーワーク」を取り入れ、日本一に輝いた。その35年前に、張本ヘッド兼打撃コーチはいち早く「夜明けの打撃特訓」を推進していたのだ。この夏季キャンプで、張本は午前練習の後、昼食と昼寝タイムを挟み、午後3時から再び練習を始めるスタイルも立案している。
暑さを避ける時間帯にトレーニングし、栄養補給と疲労回復に努めた後、また鍛錬に励む――。昭和のプロ野球に、実に先進的な方法を取り入れていたのである。

