博多の人・王貞治BACK NUMBER
「なぜホークスだけが疑われるんです?」サイン盗み疑惑に揺れる王貞治ダイエーにさらに衝撃の事態…99年「あの男」の急死からなぜ優勝できた?
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/06 11:03
1999年、ダイエーの“サイン盗み疑惑”で球団社長が引責辞任し、あの根本陸夫(右)が社長に昇格する。ところがその直後……
午後8時頃だったという。そこでまず、タクシーでかかりつけの病院へ向かった。この時には意識もあり、根本は自力で車にも乗ったという。ところがその後に病状が急変。午後9時頃には意識もなくなり、福岡ドーム横にある「国立病院機構九州医療センター」へ緊急移送された。しかし、懸命の救命治療にもかかわらず、心筋梗塞のため、同30日0時過ぎに根本は息を引き取った。享年72だった。
球団の関係者らに「根本急逝」の報が回り始めたのは、30日の午前0時半頃だったという。あるスタッフは、根本が眠るその横に、夫人の隆子が呆然と座っている悲痛な姿を見て、掛けるお悔やみの言葉すらも失ったという。
根本の遺志を受けた瀬戸山
クリスチャンだった根本の葬儀は、根本と隆子が結婚式を挙げた東京・神田駿河台のニコライ堂で行われることになった。5月4日の葬儀には750人が参列、2000通を超える弔電が届いたのは、まさしく根本人脈の広さでもある。
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生前の根本から「瀬戸山を球団に戻したらどうか?」と提案を受けていたという当時の球団オーナー代行・中内正は、瀬戸山にその根本の“遺志”を告げた。
「根本さんは、命をかけてあなたを呼び戻そうとしたんだ」
福岡での「お別れの会」は、根本の急逝から1カ月後の5月31日。根本の遺影を祭壇中央に飾り、弔問客を受け入れる「立礼」の形式で行われ、ファンも含めた2500人以上が別れを惜しんだ。
これを区切りに、瀬戸山は6月から球団代表として復帰した。
瀬戸山は、根本と初めて会った1993年11月の“本社喫茶店での講義”を、何度も思い返したという。
「あれから、根本さんにいろいろと教えていただいた。もう、全部時代の先取りよ。それはやっぱり、大したもんだと思うよ。その時に根本さんが僕に喋ってくれたことは、それこそ“野球界の事業本部長”としてのお話やったな、と」
野球人気回復のための“根本の悲願”
根本には、瀬戸山に何度も繰り返した“究極の構想”があった。
「オーナーの中内㓛さんが、開閉式のあんなすごいドームを作ってくれたんだ。向こうには東京ドームがある。長嶋と王が元気な間に、ON決戦をやることで、野球界は絶対に盛り上がる。人気回復になる。他に方法はないんだ」
その“根本の悲願”が、少しずつ『形』になろうとしていた。
1999年、5年目の王ダイエーは初優勝へ向かって突き進んでいく。そのために、王は自ら動き、自ら口説いた“Vの使者”を福岡へ招き入れていた。
〈つづく〉

