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「自虐の天才投手」板東英二が話していた“ひとつの嘘”…「じつは長嶋茂雄・王貞治キラーだった」なぜ板東は“第二の人生”で成功できたのか?
posted2026/08/02 11:00
甲子園、プロ野球を沸かせ、引退後はタレントとして活躍した板東英二(右)
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岡野誠Makoto Okano
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スポーツ報知/AFLO
結婚式で…“構想外”宣告
生前、板東はプロ野球時代の話をネタにしていた。人生の晴れ舞台である結婚式でのエピソードをこう述べている。
〈監督が杉浦さんに交替して、披露宴で主賓の挨拶をしてもらったんです。それが「せっかくお呼び戴いたんですが、彼を来年の戦力としては考えていない」と言われてねぇ。なんちゅうこと言うんやと(笑)。それがまたジョークでも何でもない。翌年はぜんぜん使うてくれませんでしたもの〉(1998年11月26日号/週刊文春)
話の真偽を検証しよう。62年オフ、中日は濃人貴実から杉浦清に監督を交代させる。翌年、板東は30試合に投げ、3勝1敗だった。登板数は前年から2試合増えているが、先発が13試合から6試合に減ったため、板東は「ぜんぜん使うてくれませんでしたもの」と感じたのだろう。当時は、リリーフ投手の地位が低かった背景もある。
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結婚式のエピソードはある程度、事実と合致している。では、この話はどうか。
「王、長嶋に強かった」は本当か?
「王、長嶋に強いっていう。……まっ、ほとんど敬遠やからね」(2015年7月11日放送『人志松本のすべらない話』)
長嶋茂雄が巨人に入団した58年、板東は徳島商業高のエースとして甲子園に出場。未だに破られない1大会83奪三振の大記録を作り、準優勝の立役者となった。そのオフ、長嶋を超える史上最高(当時)の契約金2000万円で中日へ。早稲田実業高から巨人を選んだ同学年・王貞治の1800万円を上回った。
しかし、現役生活では2人と差が開いた。ONはタイトルを何度も獲得し、巨人は65年から9年連続日本一に輝いた。一方の板東は2桁勝利を5度挙げながら、中日在籍の11年間で一度も優勝できなかった。引退後、ONの凄さをこう語っている。

