博多の人・王貞治BACK NUMBER
「なぜホークスだけが疑われるんです?」サイン盗み疑惑に揺れる王貞治ダイエーにさらに衝撃の事態…99年「あの男」の急死からなぜ優勝できた?
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/06 11:03
1999年、ダイエーの“サイン盗み疑惑”で球団社長が引責辞任し、あの根本陸夫(右)が社長に昇格する。ところがその直後……
ダイエーが設置した調査委員会の報告は不十分としたパ・リーグ側は「特別調査委員会」を発足させ、元検事総長の弁護士が調査に乗り出した。BLUE BOOKの1999年の欄の最初の項目は「1.18」の最終調査報告発表の内容だった。
間違いなく行われていたとの確証は得られなかったものの、疑惑を完全に払拭することはできない。
“灰色決着”は、徹底的に調査を進めたら、他球団にも波及するという恐れがあったからなのかもしれない。四半世紀以上前のことをあれこれ詮索しても仕方がないので、推論はここで止めておこう。ただ、村上は戒告と6カ月間の球団社長職務停止、岸谷は1カ月間代表職務停止という重い処分を下されている。
球団社長に、あの男が……
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そして、結局引責辞任した村上の後を継いで球団社長に就いたのが、専務から昇格することになった根本陸夫だった。
監督・王貞治にとって、5年契約の5年目。ひょっとしたら、優勝できなければ、ラストイヤーになるかもしれない。その勝負の年に、王のダイエー招聘を計画、実現させたその張本人が球団のトップに立つ。そのきっかけはポジティブなものではないとはいえ、これもきっと、歴史の巡り合わせなのだろう。
球団社長に就任した根本は、まず瀬戸山隆三の“現場復帰”に動いた。
「そろそろ、お前、戻って来い」
瀬戸山が球団本部長だった1998年、その前年暮れにプロ野球界で「脱税事件」が発覚した。6球団の選手が関与し、ダイエーも小久保裕紀をはじめとした5人が関わっていた。その管理責任を問われた瀬戸山は解任され、東京のダイエー本社に戻っていた。
その“再招集”の声を掛けられた直後、衝撃の事態が発生する。
ホークスを襲う衝撃
根本陸夫、死去——。
1999年4月29日。
根本は福岡で知り合いとのゴルフに出かけていた。埼玉で暮らしている夫人の隆子も来福中で、帰宅後、根本は一緒にすき焼きの鍋を囲んだという。
その後、早めの床に就いた根本が、体の不調を訴えた。
「ちょっと、胸が苦しくなった」

