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大谷翔平が出場を決めたWBCだが…「故障知らずのイチローが胃潰瘍」「トラウトは大谷との名勝負後不振」大会後ダメージを受けた名選手は多い
posted2025/12/08 17:00
2026年WBC出場の意向を示した大谷翔平。前回2023年に続く活躍が期待される一方で、メジャー3連覇を目指すドジャースへの影響も懸念される
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Nanae Suzuki
11月25日、大谷翔平は2026年の第6回WBC(ワールドベースボールクラシック)への出場を発表し、リモート会見でも意気込みを語った。
すでに国内ではチケットの「先行抽選販売」が始まり、チケットサイトは何時間待ちにもなっている。過熱気味ともいえるこのブームの中心に、大谷翔平がいるのは間違いないところであり、大谷が早々に出場を決めるのも当然――との見方があるだろう。
06年:石井弘や川崎がケガを負った
しかしながら、WBCは毎回シーズン開幕の直前に行われる。さらに戦い進めばトーナメント形式になって、選手には大きな精神的プレッシャーと肉体的な負担をかける。これまで5大会を見ても、多くの選手がWBCを契機にトラブルに見舞われている。そのことについて振り返ろう。まずは日本が連覇を果たした06、09年から見ていく。
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【2006年 第1回:優勝】
・石井弘寿(ヤクルト)
セを代表するクローザー左腕として前年61試合に登板し、37セーブ。日本代表となり、3月5日東京ドームでの韓国戦の8回、2対1とリードして、2番手杉内俊哉(ソフトバンク)の後を受けて上がるも、1死から李鍾範(リ・ジョンボム)の安打、李承燁(イ・スンヨプ)の2ランで逆転を許す。この時に左肩を痛めてリタイア。侍ジャパンは急遽、馬原孝浩(ソフトバンク)を追加招集した。
石井はこのシーズン、登板11試合にとどまった。ヤクルト球団は、石井が好成績をあげればオフにMLB挑戦を容認するつもりだったが、故障は癒えず。2007年は全休、2008年に1試合に登板しただけで、1試合に登板した2011年に引退した。
・川﨑宗則(ソフトバンク)
2006年3月20日、ペトコパークでのキューバとの決勝戦、1番遊撃で先発した川﨑は、6対5で迎えた最終回、無死一塁で送りバントに失敗するも一塁に生きて、2番西岡剛(ロッテ)のバント安打で二進、3番イチローの右前打で本塁に駆け込む。際どいタイミングだったが、右手でホームベースをタッチ。「神の右手」と称えられるも右ひじを強打し、宮本慎也と交代。優勝の瞬間に立ち会えなかった。右ひじの負傷は長引き、ペナントレースが開幕して1カ月間欠場し、公式戦に初出場したのは4月21日のことだった。

