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大谷翔平が出場を決めたWBCだが…「故障知らずのイチローが胃潰瘍」「トラウトは大谷との名勝負後不振」大会後ダメージを受けた名選手は多い
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byNanae Suzuki
posted2025/12/08 17:00
2026年WBC出場の意向を示した大谷翔平。前回2023年に続く活躍が期待される一方で、メジャー3連覇を目指すドジャースへの影響も懸念される
09年:イチローが大会後、胃に潰瘍
【2009年 第2回:優勝】
・村田修一(横浜)
3月19日、ペトコパークでの1組1位決定戦の韓国戦、6番一塁で出場した村田は、第1打席中前打、第2打席も李承浩(イ・スンホ)からライナーで抜ける中前打を打つも、一塁ベースを回ったところで右太ももを痛め苦悶の表情。亀井善行が代走に送られる。村田はここで戦線離脱。侍ジャパンは栗原健太(広島)を急遽招集した。
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村田は全治6週間の診断で、4月3日の公式戦開幕には間に合わず、ペナントレース復帰は4月22日になった。しかし脚の調子は万全ではなく、この年の出場は93試合にとどまった。
・イチロー(マリナーズ)
NPB時代から故障知らずの印象が強かったイチロー。2006年に続き、2009年もMLBに参戦するも、準決勝まで打率.211と不振にあえぎ、好機にたびたび凡退した。
3月23日のドジャースタジアムでの韓国との決勝戦で、一番中堅イチローは6打数4安打と大活躍し、連覇に貢献するも、大会終了後はストレスもあって極度の体調不良に陥る。4月、胃に出血性の潰瘍ができていることがわかり、MLB移籍9年目にして初めてのIL(故障者リスト)入り。休場は開幕後8試合に及び、チーム9試合目の4月15日に初出場した。
2大会連続で輝いた松坂だったが
・松坂大輔(レッドソックス)
西武ライオンズ時代の2006年、侍ジャパンのエースとして3戦3勝。13回を投げて自責点2、防御率1.38で初代MVPに輝く。
2009年も絶対的なエースとして3戦3勝。14.2回を投げ自責点4、防御率2.45で2大会連続のMVPに輝いたが、最後の登板となった3月22日のドジャースタジアムでの準決勝アメリカ戦では5回2死までに被安打5、1被本塁打。98球を投げ、自責点2と苦しんだ。
MLB移籍後2年連続で規定投球回数に到達して15勝、18勝を挙げていた松坂だが、この年は右肩の疲労でIL入りするなど12試合で4勝6敗59.1回、防御率5.76に終わった。翌年は9勝を挙げたものの防御率は4.69。これ以後、松坂は一度も規定投球回に到達することなくMLBでのキャリアを終え、NPBに復帰してからも全盛期の投球を取り戻すことなく引退した。
結果的に2009年のWBCの栄光が、松坂の選手生活の頂点になってしまった。
【2013年 第3回:ベスト4】
過去2回の大会で故障者、以後不調に陥った選手が出たことからか、日本人MLB選手はダルビッシュ有(レンジャーズ)、岩隈久志(マリナーズ)、黒田博樹(ヤンキース)、川﨑宗則(ブルージェイズ)、青木宣親(ブルワーズ)、イチロー(ヤンキース)と6人が全員出場を辞退、NPB選手だけで戦い、準決勝で敗退した。
大会開幕前に吉見一起(中日)が、右ひじ靭帯を損傷し出場辞退(6月にトミー・ジョン手術)した以外は、故障などで戦線離脱した選手はいなかった。ただ大隣憲司(ソフトバンク)は、シーズン開幕後に腰痛を訴え、難病の黄色靭帯骨化症が明らかになっている。

