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「早明戦の朝はステーキ食べて、京王線に乗って…」“最強のラグビーマン”元木由記雄が語る特別な一戦の緊張感《ラグビー早明戦100回記念》
posted2024/11/26 15:00
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
AFLO
1990年代から2000年代にかけ、日本最強のラグビーマンと呼ばれ続けたのが元木由記雄だ。88年度、大阪工大高校(現・常翔学園高校)2年で全国高校大会優勝。明治大学に進むと4年間で3度の大学日本一、さらに神戸製鋼に進み94年度に日本選手権7連覇を達成、トップリーグが誕生した03年度には初代王座を獲得し同時に初代MVPも受賞した。ワールドカップでは4度にわたって代表入りし、日本代表キャップは79。それまで最多記録だった林敏之の38キャップを大幅に更新。世紀をまたいでピッチに君臨した。
元木が明大に在学したのは90年からの4年間。早明戦には4度出場した。
早明戦の一番の思い出をあげてもらえますか? と聞くと、迷うことなく答えが出た。
「1年の早明戦ですね。はい、対抗戦の方です。ほぼ勝ちを手中におさめていた中で、最後の最後に今泉(清)さんに走られて、同点になって終わった試合です」
90年の早明戦は、早稲田大学が堀越正巳、明大が吉田義人という、すでに日本代表の看板でもあったふたりのスター選手が主将を務め、互いに全勝同士で早明戦にたどり着くという最高の状況で迎えた一戦だった。観戦チケットは発売即完売。国立競技場は当然のように6万人の観衆で埋まった。
明大は開始から圧倒的に攻め続け、終了3分前まで24−12とリードしていたが、最後に早大が猛反撃。郷田正のトライで6点差に迫り、最後はFB今泉が約80m独走のノーホイッスルトライ、SO守屋泰宏のコンバージョンも決まり、24−24の引き分けに持ち込んだのだ。
「衝撃というか『これが早明戦なのか……』と思いました。試合中も、満員の観衆の応援の声がすごいなあ、と思いながら試合をしていました」
満員の国立競技場、応援のすごさとともに、元木が感じていたのは『伝統』の重みだった。
「独特の雰囲気がありましたね。やっぱり創部当初から名勝負を続けてきた本当のライバル同士で、その歴史の中に僕らも入っていくという感覚があった」
早明戦前の緊張感
早明戦が近づくと、八幡山のグラウンドも雰囲気が変わってくる。連日、グラウンドをOBが訪れ、激励や差し入れが届く。
「これは絶対負けられない、特別な試合なんだな、という空気ができてくる。言葉では表現できない圧のようなものを肌で感じていました」
もうひとつ、元木が覚えているのは早明戦の当日、朝の食事だ。
「ステーキが出ました。今では考えられない」と元木は笑った。試合の当日は米やパンなど炭水化物を多めに摂り、すぐにエネルギーに転化できる糖質を身体に蓄えるのが現代スポーツで主流の考え方だ。しかし当時はそんな科学理論よりも『テキにカツ』という語呂合わせの縁起物が優先であり、その食事はメンバーしか食べられない、選ばれた戦士に与えられる特別なものだった。
今では考えられないことは他にもあった。試合当日、選手たちは国立競技場へ向かうのに電車を使っていたという。
「八幡山から京王線に乗ったと思います。ただ、そのあとどう行ったかは……明大前で乗り換えたような記憶はありますが、それは秩父宮のときかな……すいません、覚えてないです。電車で移動しているときはもう気持ちが入っているんで、誰かと何かをしゃべったりもしなかった」
当時の明治にはスター選手が多く在籍していたが、他の乗客から話しかけられたり騒がれたりした記憶はないそうだ。まあ、電車の中で気づくようなラグビーファンなら、これから勝負に赴くオーラを発している元木に話しかけることなど、とてもできなかっただろうが……。