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「もうスクープ競争はやめてください」伝説の貴花田・宮沢りえ婚約会見から“似顔絵だけ”松井秀喜まで「なぜアスリートは結婚式を公開しなくなった?」
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJIJI PRESS
posted2024/03/09 11:05
1992年11月27日、婚約発表会見に臨む貴花田と宮沢りえ(東京都千代田区・ホテルニューオータニ)
このときにはすでに、宮沢には結婚後も仕事を続けさせたい彼女の母親と、引退しておかみ修業をしてほしい貴花田の両親とのあいだに溝が生じていた。マスコミもその空気を察知して、1992年暮れには破局情報が出始める。
ついには1月場所を終えた直後の1月27日、両者の話し合いをもって婚約解消が決定した。『Nステ』のスクープからわずか3カ月後のことであった。貴花田は1月場所で優勝こそ逃すも、大関昇進を果たす。それと引き換えのように、その伝達式当日、二人はそれぞれ破局会見を行った。このとき、大関昇進にともない「貴ノ花」と改名した彼は「自分の愛情がなくなりました」と口にして、激しい非難にさらされる。
のち2019年、前年に相撲協会も退職していた貴乃花は『週刊文春』の取材に応え、《あの時はそう(発言)するしかありませんでした。お互いが自分の進むべき道にレールを戻すためには》と発言の真意を明かしている。また、《もし(宮沢が芸能界を引退して)職を捨てることになれば、その生き方ができなくなるわけです。お互い、親から生まれてきた身です。二人が名もない花だったら、それぞれの本意を大切にして、花を咲かせることができたのかもしれませんけどね……》とも語った(『週刊文春』2019年2月14日号)。二人とも幸か不幸か若くして有名になり、それぞれの世界を背負う存在であったがゆえ、別れざるをえなかったということだろう。
「昔のことはお互い様です」
貴花田・宮沢りえの婚約会見に先んじて、1992年11月12日にはサッカー日本代表のエースで、当時ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に所属していたカズこと三浦知良が、タレントの設楽りさ子と婚約を発表していた。東京の全日空ホテルでの会見では、カズと以前噂されたタレントとの関係について記者から二人へ質問もぶつけられた。
これに、それまで小声で受け答えしていた設楽は、「6年間(三浦とは)いいお友達としてやってきたので。それぞれお互い、いろいろ恋をしてきましたし。でも昔のこととかはお互い様です」とこのときばかりははっきりとした口調で答えている。彼女が答えるあいだ、カズは下を向いて聞いていたが、「お互い様」発言が出るや「そうだな」と言って顔を上げ、二人で見つめ合った。
「サッカー選手がこんな結婚式をするなんて…」
結婚式はJリーグ元年の翌1993年の8月1日。カズの「人生は売らない」とのポリシーによりテレビ中継こそされなかったが、1億円をかけた豪華なものとなった。