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「もうスクープ競争はやめてください」伝説の貴花田・宮沢りえ婚約会見から“似顔絵だけ”松井秀喜まで「なぜアスリートは結婚式を公開しなくなった?」
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJIJI PRESS
posted2024/03/09 11:05
1992年11月27日、婚約発表会見に臨む貴花田と宮沢りえ(東京都千代田区・ホテルニューオータニ)
その日早朝、カズは前夜の試合で勝利を挙げた福岡から、仲人の読売新聞・渡邉恒雄社長(当時)が用意させた自社ジェット機で帰京すると、目黒のサレジオ教会で挙式。教会周辺には1300人ものファンが詰めかけた。式が終わったあと、披露宴会場となる東京プリンスホテルまで移動中には、リムジンのサンルーフを開けて夫婦そろって沿道のファンの祝福に応えるサービスぶりを示す。
披露宴はアナウンサーの逸見政孝とタレントの高田純次が司会を務め、招待客もサッカー界だけでなく、桑田佳祐や木梨憲武、若ノ花(のちの横綱・若乃花)と貴ノ花の兄弟など各界から大物が出席し、巨人の長嶋茂雄監督(当時)からもビデオメッセージが届いた。その様子に、ヴェルディの先輩・ラモス瑠偉は「おれたちが結婚した頃は、サッカー選手がこんな結婚式をするなんて考えられなかった」としみじみ語っている(『FOCUS』1993年8月13・20日号)。
「もうスクープ競争はやめてください」
中央競馬界のスター騎手・武豊もこのころ、交際中のタレント・佐野量子との関係をめぐりマスコミから激しい取材攻勢を受けていた。それを終わらせるべく1994年3月31日、武が大阪、佐野が東京でそれぞれ会見を行い、婚約を発表する。
あくまで執拗な取材をやめさせるための会見だったので、この時点では媒酌人も挙式の日程も決まっていなかった。会見に際し武は「くわしいことは決まり次第、また発表します。だからもう僕たちのことでスクープ競争するのはやめてください」と申し入れた。会見後には「正式に発表して気が楽になりました。以前よりも人目を気にしなくて済みますし」と思いを吐露している(『週刊朝日』1994年4月15日号)。
結婚式は、直木賞作家の伊集院静・女優の篠ひろ子夫妻を媒酌人として、翌1995年6月5日に京都のカトリック聖ヴィアトール北白川教会で行われた。