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「もうスクープ競争はやめてください」伝説の貴花田・宮沢りえ婚約会見から“似顔絵だけ”松井秀喜まで「なぜアスリートは結婚式を公開しなくなった?」
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJIJI PRESS
posted2024/03/09 11:05
1992年11月27日、婚約発表会見に臨む貴花田と宮沢りえ(東京都千代田区・ホテルニューオータニ)
量子夫人はすでに前年11月をもって芸能界を引退していた。披露宴はそれから5カ月後の11月20日、武の1000勝記念を兼ねて、京都・都ホテルで開かれている。このときの出席者のなかには、同年、米MLBのロサンゼルス・ドジャースに移籍した野茂英雄もいた。野茂にとってはこれがオフに帰国して初めての公の場となり、ほかの招待客から一斉にカメラを向けられたとか。
“4億円”披露宴
1995年には各競技のスター選手の婚約・結婚があいついだ。前年に横綱に昇進した貴乃花は、元フジテレビアナウンサーの河野景子さんと結婚、招待客約1000人、費用4億円といわれる豪華披露宴を5月29日にホテルニューオータニで開く。媒酌人となった出羽海理事長は、かねてよりテレビ中継を高い契約金と引き換えに1社に独占させることに反対していた。そこでこのときは、景子夫人の古巣・フジテレビが幹事社として「代表取材」し、それを各局に分配するという方式がとられた。結果、この日は民放各局が朝のワイドショーに始まり、結婚式と披露宴は特別編成で生中継し、二人の様子を20時間以上にわたって伝え続けることになる。まさにスポーツ選手の結婚報道ここにきわまれりという観があった。
このころにはプロ野球界でも女性アナウンサーと結婚する選手が目立つようになっていた。ヤクルトの名捕手・古田敦也は、当時フジテレビ社員だった中井美穂アナウンサーと12月10日、三浦知良夫妻と同じ目黒のサレジオ教会で式を挙げている。
将棋界のスーパースター・羽生善治も、この年7月28日に女優の畠田理恵との婚約を二人そろって会見で発表し、翌1996年3月28日に結婚式を挙げた。挙式前月の2月14日には、羽生は前人未到の七冠獲得を達成している。最後に残ったタイトルである王将を奪われた谷川浩司は、《七冠制覇をやり遂げることだけでもものすごくエネルギーを使うのに、このたいへんな時期に婚約して結婚する。あれだけのマスコミの注視の中で、いとも軽々とやっているように見えた》と舌を巻いた(谷川浩司『復活』角川文庫、2000年)。
「似顔絵だけ」報道陣は戸惑った
しかし、90年代後半になると、芸能人カップルでも派手な結婚式・披露宴を行わないケースが現れるようになり、「ジミ婚」という言葉も生まれた。球界のトップスターだったイチローも、オリックス在籍中の1999年12月3日(日本時間4日)に元TBSアナウンサーの福島弓子さんと結婚式を米ロサンゼルスの名門ゴルフ場リビエラ・カントリークラブで挙げ、帰国後に夫婦そろって会見はしたものの、式自体はごく内輪の人だけが参列し、マスコミは完全にシャットアウトして行われた。
アスリートの豪華な結婚披露宴がメディアで大々的に報じられることは、いまから約20年前の、柔道の谷亮子(旧姓・田村)とオリックス(当時)の谷佳知の結婚を境として急速に少なくなった印象がある。