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なびく髪、週休2日制、異色のユニフォーム…甲子園初出場・浜松開誠館の「高校野球離れ」した柔軟さ 元プロ監督は“筋肉>技術”改革に着手
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/11 11:04
他に類を見ないカラーリングの浜松開誠館高野球部のユニフォーム。MLBのダイヤモンドバックスがモチーフという
中日でプレーした元プロ野球選手が監督に。しかし…?
感慨深げに勝利を噛みしめる佐野は、1992年から95年まで中日でプレーした、元プロ野球選手であり、高校野球の指導者としても豊かなキャリアを誇る。2007年、メジャーリーグのヤンキースをオマージュしたユニフォームで話題となった常葉菊川(現常葉大菊川)では部長としてセンバツ優勝を経験し、監督となった翌08年の夏にはチームを甲子園準優勝へと導いた。
浜松開誠館では17年から指揮を執る。新天地ではユニフォームのデザインを大胆に一新したことは前述のとおり。同年から21年まで、プロ野球で2000安打、400本塁打を記録した中村紀洋に非常勤コーチとして指導を請うなど、高校野球の枠にとらわれないアプローチでチームを改革してきた。
自由であり、柔軟。
そんな姿勢が甲子園初出場初勝利へと直結したかといえば、それだけではない。もっと重要なことがある。監督の意識の変化だ。
佐野が苦笑いを浮かべながら打ち明けた。
「高校野球をやっていれば、甲子園に行きたい。今までは技術的な要素を中心に指導をしていましたけど、敗戦のなか『甲子園に行くことを阻止してるのは自分じゃないか?』と思うようになって。そこから、野球観を変えてみようと思ったんですけど」
野球において十分すぎるキャリアを携える佐野が現実を直視し、懐疑的な目で省みる。
甲子園を狙えるチームだと目されていながら、夏は21年から2年連続で県大会初戦敗退。昨年の秋も県大会準々決勝で加藤学園に5-8と敗れた。これが、佐野が意識を改革する決定打になったのだという。
「技術を前面に出すことはやめよう。かといってメンタルの強化でもない。そこで『フィジカルを鍛えたらどうか?』となって。すぐに効果が出るものではないですけど、ジワジワと実を結ぶものだとは思っていましたんで」