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「実力49番目」と評された「普通の公立校」の下剋上 鳥栖工躍進の秘密は“兄弟バッテリー”と“交換日記”「時代に合った努力じゃないと結果は出ない」
posted2023/08/12 11:03
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
JIJI PRESS
この夏の甲子園大会が始まる少し前、大会のガイドブックをパラパラやっていたら、「鳥栖工業高校」のページに、懐かしい名前を見つけて驚いた。
佐賀県代表・鳥栖工業高校監督・大坪慎一。
なんだ、それならそうと、早く教えてくれたらいいのに。でも、もうあれから10年以上、忘れちゃってるよな……。ぶつぶつ言いながら、すぐに、大坪監督の携帯番号を探してみた。
伊万里農林高のグラウンドに大坪監督を訪ねたのは、もう10年以上も前になろう。
佐賀の無名校に、実力なら県下トップクラスの選手が何人もいる。そんな話を聞きつけて、取材に伺った。投手で4番の左バッター、強肩捕手、内野手にも「オオッ」と思うようなフィールディングのショートがいて驚いたら、その夏、佐賀を勝ち抜いて甲子園に出てきたから、もう一度驚いた。
「14年かかりましたよ!」
電話の向こうで、声が弾んでいた。
伊万里農林高から鹿島高、さらに鳥栖工に異動して、今年で4年目になる。
「最初の2年間が辛かった!」
そんなネガティブな内容でも、声が弾んでいる。それが、大坪監督らしい。
赴任直前、部内がギクシャクしていた時期があり、その真っ只中での鳥栖工監督就任だったという。
監督自ら中学校を回って声をかけたいまの3年生たち
「冬の間に2年生が10人近く辞めていて、そんな状況は人の口で広がりますから、1年生も入ってきてくれない。『しょうがない、イチからだ』って中学校を回って、『一緒に頑張ろう』って声をかけて回ったら、結構来てくれたんですよ。はい、今の3年生の代ですね」
この夏の甲子園、1回戦で富山商と対戦した鳥栖工。
タイブレークの末、夏の甲子園17回出場の富山商を破った原動力となったエース・古沢蓮(167cm70kg・右投右打)も、リードオフマン・鐘ケ江瑠斗(二塁手・171cm72kg・右投左打)も、4番で捕手の松延晶音(あぎと、170cm73kg・右投右打)も、みんなその時に、「わかりました。自分、やります。よろしくお願いします!」と大坪監督のもとに集まった鳥栖近隣の中学球児たちだ。
「それでも、勝てない。なかなか勝てない時期が続きましたね、しばらくは。だから、その頃は、僕も結構、きつい言い方や強い言葉を選手たちに浴びせて、選手たちの心が離れていくのもわかるんです。それが、また辛い。僕の『勝ちたい!』ばかりが、先走っている時期もありましたから」