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「アゴをケガしてなかったら…冨安健洋は水泳選手だったかもしれません」地元の小学校恩師が明かす“冨安が小1でサッカーを始めた日” 

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栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

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photograph bySanchiku Kickers/Getty Images

posted2022/11/20 17:01

「アゴをケガしてなかったら…冨安健洋は水泳選手だったかもしれません」地元の小学校恩師が明かす“冨安が小1でサッカーを始めた日”<Number Web> photograph by Sanchiku Kickers/Getty Images

カタールW杯で日本代表の中心選手として期待される冨安健洋(24歳)。左の写真は小学生時代。サッカーを本格的に始めたのは小1のときだったという

「4年生でトップチームに出始めた頃『FWしたら?』と言ったら、『いいですか?』と1、2度やったことはありました。タケのポジションはDFでしたが、私はボールを奪ったらパスは出さなくていいからどんどん攻めて、シュートが入ろうが外れようが遠慮しないで打って来いと言いました。実際に最終ラインからドリブルで前線まで持ち上がって1人で点を決めたことも何回かありましたからね」

 学校の成績も優秀、何か指示すれば真っ先に理解して、行動するのも冨安だった。だが、辻さんにはジレンマもあった。

「地元の少年団ですから、みんながタケのレベルというわけにはいきません。サッカーが上手じゃない子もいましたし、指示をすぐに理解できない子もいました。そういう状況で、タケだけに高いレベルのことを教えられないですから。ただ、タケは一切不満を口にしなかった。誰かのミスで試合に負けてもその子を責めるのではなく、『僕がフォローできていれば』と言うくらいの子どもでした。自分で点を取って、自分で守って勝つという試合もありましたし、“強豪”でなかったからこそ、点を取られないためにどうしたらいいか、と考えたこともあったと思います。そういう意味では、ウチのようなクラブにいたことは結果的にタケにとってよかったのかもしれません」

 小5になると、更なるレベルアップを目指して、冨安は三筑キッカーズと並行して、バルセロナアカデミー福岡校にも通うようになる。地元では飛び抜けた存在だったが、さらに高いレベルを知ったことは冨安にとって、いい刺激になったようだ。

「優しい顔をしていても、負けん気は強いですからね。いくら地元で凄かったといっても、福岡市内のチームに少なくとも2、3人はタケより評価されていた子がいたのも事実です。それでも、いまのタケがあるのは誰よりも努力をしたから。ウチの練習も6年間で、選抜チームなどで来られないとき以外は1度も休んだことはありませんでしたから」

 いわゆる地元の“スーパー小学生”だった冨安は、その後アビスパ福岡ジュニアユースに進むと、高2でプロデビュー。19歳で日本代表入りするなど圧倒的な成長曲線を描いてきた。それは三筑キッカーズ時代から「練習の虫」で、誰よりも謙虚さや探求心を持ち続けてきたからなのだろう。

<中学生編に続く>

冨安健洋(とみやす・たけひろ)

1998年11月5日、福岡県生まれ。小学1年生のとき、地元・三筑キッカーズで本格的にサッカーを始める。2011年、中学進学と同時にアビスパ福岡ジュニアユースへ。2016年、アビスパ福岡U-18からトップ昇格。2018年シント・トロイデン(ベルギー)に移籍し、翌年セリエA・ボローニャへ。不動のDFと評され、移籍金2000万ユーロ(約26億円)で2021年アーセナル移籍。日本代表29試合出場、1得点。188cm、84kg

#2に続く
「冨安はアビスパ福岡アカデミーで“7番手”から逆転した」中学恩師が明かす“下手だった”冨安健洋の原点「中学時代のあだ名は『課長』」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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