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「冨安はアビスパ福岡アカデミーで“7番手”から逆転した」中学恩師が明かす“下手だった”冨安健洋の原点「中学時代のあだ名は『課長』」
posted2022/11/20 17:02
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
AFLO/Getty Images
現在J3松本山雅のトップチームでコーチを務めている宮原裕司さん(42歳)は、冨安健洋(24歳)がアビスパ福岡のジュニアユース時代、選手と監督またはコーチという関係で、現在も交流を持ち続けている恩師の1人である。
宮原さんといえば、東福岡高時代に1学年上の本山雅志さん、同級生の金古聖司さんらと97年度の高校3冠(インターハイ、全日本ユース、選手権)、98年度の選手権連覇に貢献、高校サッカーのスター選手だったことを覚えている方も多いかもしれない。
Jリーグでは名古屋グランパス、サガン鳥栖、アビスパ福岡などでプレーし、09年限りで引退。その後は指導者の道を歩んできたが、ジュニアユース時代に指導した冨安にはどんな印象を持っているのだろうか。
「冨安は“7番目くらい”の評価だった」
宮原さんが最初に冨安を見たのは、ジュニアユースのセレクションのときだった。約300人が受け、18人が合格するという狭き門をくぐった小6の冨安だったが、当初は特別目立った存在ではなかったと振り返る。
「セレクションで長距離走のテストをしたら、上位5人くらいに入っていて。当時170cm近く、背がスラッとしていて運動能力が高そうな感じはしました。ただ、セレクションには彼より身長が高い、いわゆる“身長枠”の子は他にいましたから。飛び抜けて目立っていたわけではなかったです。それにその学年は能力の高い子が多くて、冨安はセレクションの事前調査の段階では7番目くらいの評価でした」
技術的にいえば、冨安より上手な選手は少なくなかった。それだけに、現在日本代表やプレミアリーグのアーセナルでプレーするまでになったことに驚きがないわけではない。ただ、セレクションのウォーミングアップのとき、誰よりも入念な準備をしていた姿はいまでも印象的だ。
「まだ周りの子たちは『お、オマエどこどこのチームじゃん?』なんて話をしているときに、冨安は真剣にストレッチもランニングもして、いつでも大丈夫という感じでしたから。僕はセレクションのとき、そうした準備の様子をチェックするのが好きで、その時点で『彼は合格だ』なんて言ってました。多少能力に差があってもそういう子は伸びしろがある気がするんですよね」
びっしり2ページ書いてきた“サッカーノート”
いまでこそ基礎技術の高いDFとして評価される冨安。だが、現役時代にテクニシャンとして鳴らした宮原さんからすれば、ジュニアユース当時は「サッカー下手だな」「何そのキック?」と言いながら一緒にボールを蹴った日々が懐かしいという。