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《F1》「鈴鹿プライドを忘れるな」3年ぶり日本GP開催にこぎつけた、鈴鹿サーキットスタッフたちの知られざる戦い

posted2022/09/30 17:00

 
《F1》「鈴鹿プライドを忘れるな」3年ぶり日本GP開催にこぎつけた、鈴鹿サーキットスタッフたちの知られざる戦い<Number Web> photograph by Getty Images

コロナ禍前となる2019年の日本GPの勝者はメルセデスのボッタス。これによりハミルトンとメルセデスは、ドライバーとコンストラクターのダブルタイトルを確定させた

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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 1年前、日本のF1ファンはそれまで経験したことがない悔しい思いで晩夏を過ごしていた。8月18日、秋に開催される予定だった日本GPが中止となったからだ。

 日本GPの中止は前年の2020年に続いて2年連続。しかし、昨年はオリンピックが開催されていただけに、厳しいバブル方式で準備していた日本GPの開催を期待する声は高かった。

 だが、F1の運営会社であるFOWC(Formula One World Championship Limited)が準備のために定めたデッドラインまでに、F1関係者約1500名の入国の見通しは確実なものとならなかった。その結果、鈴鹿サーキットを運営するモビリティランド(現ホンダモビリティランド)は、FOWCと協議した末に中止という苦渋の選択をした。

 この決断はファンだけでなく、鈴鹿サーキットを運営するモビリティランドのスタッフたちを落胆させた。ホンダモビリティランドの田中薫社長はこう述懐する。 

「20年は2回、合わせておよそ3カ月にわたって臨時休業しました。その後も緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の繰り返しで、お客さまが全然来ない。われわれは集客産業ですから、この2年間は大変でした。特にF1はわれわれにとっても特別なイベント。それが2年間できないので、スタッフたちもモチベーションを維持するのが大変だったと思います」

モータースポーツが根ざした街

 そんなスタッフたちに、田中はこんな言葉を贈った。

「鈴鹿プライドを忘れるな」

 鈴鹿プライドとは、田中が社長に就任した19年以降、社員に訓示してきた言葉だ。社長に就任して以降、田中は鈴鹿に居を構え、地元の人たちとそれまで以上に交流を重ねるようになった。そして鈴鹿市の人たちにとって、モータースポーツ、とりわけF1が非常に重要な存在になっていることを肌で感じていた。

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