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「ぼくはほかの人の倍くらい走りました」涌井秀章は横浜高校で何を学んだのか? OBたちの証言で見えてきた超名門の極意
posted2022/08/08 06:00
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Sankei Shimbun
進路を考えていた時の本音は「ラクして甲子園に行きたい」。親と指導者の導きで激戦区の強豪校に進むことになっても、課された走り込みをこなしながら「どうやってサボろうか」と考えを巡らせていた。
ストイックな中学生ではなかった涌井秀章は、横浜高校での3年間を経てプロになった。15年目を迎えたいま、母校で何を学んだかとの問いに、「走ること」と真っ先に答える。
「特にエースは走らされる。ぼくはほかの人の倍くらい走りました」
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根性論的な持久走ではなく、確かな目的があったと知るのは卒業してからだ。同校野球部、小倉清一郎部長(当時)の言葉が載る記事に触れ、「そういう意図があったのか」と気づかされることがたびたびあった。
現在では自らの実感として、走る意味を見出している。涌井は言う。
「最近の高校生は、ウェイトや科学的なトレーニングが入ってきて、投げることと走ることの結びつきをあまり感じていないと思いますけど、自分の中では横浜高校の教えである『走ること』を一番に置いている。いまでも、まだまだ走ってますよ」
いまも胸を張る“フィールディング”
小倉が教える野球は、基礎的にしてハイレベルだった。バント処理や打球への反応などフィールディングを鍛えつつ、「これをやっておけばプロで困ることはない」と言い添えた。4度のゴールデングラブ賞を受賞した涌井が「プロに入って(他の投手より)自分のほうがうまいって思う時もある」と控えめながら胸を張れる礎は、高校時代に築かれた。
「たとえば一、三塁でダブルスチールを仕掛けられた時、プロならサイン優先で、ピッチャーは三塁ランナーがスタートするのが見えてもキャッチャーの二塁送球をスルーします。でも、横浜高校ではカットしてでも三塁ランナーでアウトを取りに行く。小倉さんはプロでもやらない練習を平気でやるし、プロ野球でコーチをやってもおもしろいんじゃないかな」