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“羽生結弦のコーチ”ブライアン・オーサー60歳ってどんな人? 「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれた名スケーターが泣き崩れた日

posted2022/02/08 11:02

 
“羽生結弦のコーチ”ブライアン・オーサー60歳ってどんな人? 「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれた名スケーターが泣き崩れた日<Number Web> photograph by AFLO

「ブライアンの闘い」と称される名勝負となったカルガリー五輪の表彰式。左から、ブライアン・オーサー、ブライアン・ボイタノ、ヴィクトール・ペトレンコ

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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 いよいよ北京オリンピック、男子の個人戦が始まる。金メダル争いは、アメリカのネイサン・チェンと羽生結弦の間になるというのが大方の予想だが、宇野昌磨、鍵山優真とも団体戦で素晴らしい滑りを見せており、当日の調子しだいでは何が起きてもおかしくない。

 過去のオリンピックでの男子の金メダル争いといえば、2002年ソルトレイクシティのアレクセイ・ヤグディン対エフゲニー・プルシェンコなど、フィギュア史に残る名勝負はいくつもある。中でも未だに語り継がれているのは、羽生のコーチであるブライアン・オーサーと、アメリカのブライアン・ボイタノが繰り広げた、1988年カルガリーオリンピックの「ブライアンの闘い」だろう。

 どちらも北米の名選手でファンが多く、しかも二人とも名前がブライアンだったことからゴロも良いため、未だに何かと話題に上げられる。結果的にはボイタノが優勝し、オーサーは1984年サラエボオリンピックに続いて二度目の銀に終わった。

「ミスター・トリプルアクセル」の由来

 ブライアン・オーサーのニックネーム、「ミスター・トリプルアクセル」はどこから来たのか知っているだろうか。

 試合で初めて3アクセルを成功させたのは、カナダのバーン・テイラーで1978年世界選手権でのこと。その6年後の1984年サラエボオリンピックでオーサーは3アクセルを成功させて、オリンピックでこのジャンプを降りた世界初の選手になったのだった。

 優勝したスコット・ハミルトンは3アクセルを武器に持っておらず、オーサーはSP、フリーとも1位だった。それでも銀メダルに終わったのは、当時はまだ競技の一部だった規定(1990年を最後に、廃止)で7位スタートだったためだった。

 その後オーサーは、1987年シンシナティ世界選手権のフリーで世界で初めて1つのプログラムで2度の3アクセルを成功させて初の世界タイトルを手に。彼はこうして2度、3アクセルの世界記録を作ったのだ。

 ちなみにこの大会のフリーで2歳年下のボイタノは初めて4トウループに挑戦して転倒し、2位になった。

【次ページ】 「ブライアンの闘い」は何が凄かったのか?

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