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実は山田太郎は「ドカベン」と呼ばれてない? 野球観を変えた水島新司の功績を振り返る
posted2020/12/19 17:03
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
JIJI PRESS
日本のスポーツ関連音楽を語るには欠かせない音楽家・古関裕而を描いたNHKの朝ドラ『エール』が、11月27日に最終回を迎えたと思ったら、4日後(12月1日)に野球漫画の巨匠・水島新司先生が「引退」を発表。そのタイミングに驚かされた。
古関裕而と水島新司――。
一見、関係ないようにも見えるが、水島先生の代表作『ドカベン』のアニメ版最終回(昭和54年12月26日放送)のラストシーンで流れた挿入歌『ああ甲子園』は、れっきとした古関裕而作品。「野球版・大地讃頌」とでも呼ぶべき球児たちと甲子園の土を讃える名曲なのだ。
九割九分は「山田」と呼ばれている
ドカベンなる名称は、主人公・山田太郎が学校に持参するドカっと大きな弁当箱(※諸説あり)に由来するものだが、あの大長編は「山田太郎はドカベンと呼ばれるほどの~」という大前提ありきで進行する壮大なサーガだった。ところが、実際に劇中で「ドカベン」と呼ばれていたシーンは驚くほど少ない。
初回エピソードでは岩鬼正美も「ドカベン」を自称していたし、後に登場する横浜学院の剛球投手・土門剛介も同じあだ名で呼ばれており、その「ドカベン違い」によって微笑三太郎がうっかり明訓高校に転校してきてしまうきっかけをも生み出した。
初期エピソードには、まあまあ「ドカベン」「ドカベン太郎」などと呼ばれることも散見される山田太郎だが、九割九分は普通に「山田」と呼ばれている。
「ドカベン」と呼ばれる数少ないシーンで、個人的に印象深いのは高1夏の甲子園からの帰路、新大阪駅を出発した新幹線こだま号(連載当時、のぞみ号は存在せず、ひかり号は新横浜駅に停車しなかった)の車中で、岩鬼が「おいドカベン 次の停車駅はどこや 新潟か」と問いかけたシーンぐらいか。