北京をつかめBACK NUMBER
日本陸上界の隠し球、醍醐直幸
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2007/07/19 00:00
7月1日に日本選手権が終了し、8月25日に開幕する大阪・陸上世界選手権の代表メンバーの概要が固まった。
室伏広治、為末大、末續慎吾ら第一人者が順当に名を連ねたが、彼らの陰に、隠れた実力者がいる。走り高跳びの醍醐直幸である。
今年26歳になった醍醐の、この2シーズンの活躍はめざましい。昨年6月の日本選手権で2m33を跳び、13年ぶりに日本記録を更新。12月のドーハ・アジア大会では銅メダルを獲得した。
この日本記録は、2005年の世界選手権なら金メダルを獲得できる高さであった。'06年の世界ランキングでも、トップにアンドレイ・シルノフ(ロシア)の2m37、2位に2m34で3選手が並び、それに続く記録である。その価値が知れよう。
今年5月6日の大阪国際GPでは2m30で優勝。2m30台は醍醐自身にとって3度目だったが、3度跳んだのは日本人選手では初めてのことだ。日本選手権こそ、かかとの怪我の影響から2m21での優勝に終わったものの、今季は出場した大会すべてで優勝、記録の安定感もあわせ、昨年の日本記録がフロックではないことを証明している。
「昨年は2m23くらいがアベレージでした。今年はそれが2m27くらいにできそうです」と、レベルが上がったことに自信を深めている。
この醍醐、異例の経歴をもつ選手でもある。
アマチュア競技の上位に位置する選手は、学校を卒業すると、陸上部をもつ企業に所属し、競技を続けることがほとんどだ。ところが醍醐は大学を卒業後、アルバイトをしながら競技を続けざるをえない時期があったのだ。
もともとジュニアの頃には、将来を嘱望される存在だった。中学時代はハンドボール部、東京都立野津田高校進学後に本格的に走り高跳びを始めた醍醐は、1年生のとき早くも国体で4位に入るほど成長。3年生で出場した世界ジュニア選手権では7位入賞を果たし、同世代の、末続、池田久美子らよりも世界に近いところにいると、当時はみられていた。
その後、東海大学に推薦入学する。ところが大学2年のときに足首を故障してしまう。ここから長い低迷の時期が始まった。故障が癒えても、記録が出なくなってしまったのだ。当然、大会で目立った成績を残せなくなった。
やがて卒業を迎えるが、醍醐に手をさしのべる企業はなかった。やむをえず、アルバイトをしながら、競技を続けた。月収は4〜5万円、家族の支援を受けながらの生活だったという。
しかし、ようやく低迷を脱するときが訪れた。
'04年秋、故障前の切れを取り戻し、5年ぶりに2m20台を記録すると、'05年には2m27に記録を伸ばした。その活躍ぶりが認められ、'06年からは富士通への所属となり環境が整った。すると、さらに進化を遂げ、世界の上位を争う位置にたどりついたのである。
世界選手権を前に、醍醐は言う。
「実力を発揮して、本番では2m35を跳んで、メダルを獲りたいです」
その言葉通り、もてるポテンシャルを発揮すれば、メダルは不可能ではない。
懸念があるとすれば、国際大会の経験は決して多くはなく、大きな舞台で実力を発揮できるかということだ。
だが、かつてフリーターとして苦労した経験は今も生きているはずだ。
世界選手権での飛躍は、北京五輪にもつながるだけに、醍醐の活躍に期待したい。