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特別編 「レアル ザ・ムービー」に見る、豊穣な物語の土壌 

text by

稲川正和

稲川正和Masakazu Inagawa

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posted2006/03/27 12:37

特別編 「レアル ザ・ムービー」に見る、豊穣な物語の土壌<Number Web>

 あっ、似たようなシーン、どこかで見たことあるぞ、と思った。思い出したのは、『スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還』。エンドア星に住むイーウォック人にC3POが、ルークやハン・ソロ、レイア姫の帝国軍との戦いぶりを身振り、手振りを交えながら語る場面だ。神に祀り上げられたC3POがダース・ベイダーの恐ろしさを語れば、一同恐怖し、ルークたちの勇敢さを伝えると、聴衆のイーウォック人たちも奮い立つ。語り部の言葉が、聞き手の心の中で増幅し、想像力を喚起し、物語となって記憶の層に沁みいっていく。「物語る」行為の素朴な力強さを感じさせるシーンだった。

 『レアル ザ・ムービー』もまた、「物語る」ことの素晴らしさを描いた映画だ。「物語られる」対象は、もちろんレアル・マドリー、銀河系をなす選手たちだ。映画は'04~'05シーズン、4月10日のエル・クラシコ(バルセロナ戦)の1週間を描いたドキュメンタリーと、東京、ニューヨーク、ベネズエラ、セネガル、そして地元マドリッドを舞台にした5つのショートストーリーをオムニバスに絡める構成になっている。ドキュメント部分もそれなりに充実していて、伝統の一戦を前にしたルシェンブルゴ前監督らコーチ陣の作戦会議や極秘の戦術練習に密着したり、選手たちの表情(血液検査で注射されたロベルト・カルロスが子どものように痛がる様子は失笑もの)に迫るなど、見どころはたくさんあるのだが、映画の中心は世界各地で語られるそれぞれの「レアル物語」だ。

 たとえば東京編では、ベッカム好きの彼女を持つ男子高校生の恋煩いが描かれる。「僕とベッカムとどっちが好きなんだ」と彼女に迫るセリフは、いまどきの小学生でも言わないんじゃない、と突っ込みを入れたくなるほど陳腐だが、来日したレアルが「マジンガーZ」のテーマソングにのって、少林サッカーばりのアニメ軍団と戦ったり、東京の街中に溢れるベッカムの顔に追い立てられた主人公の飛び込んだ先が、まるで宇宙船のような内装の美容院で、手元のディスプレイで好きなヘアースタイルを選ぶ設定になっていたりと(もちろん、そこにはあのベッカムの鶏冠ヘアーが)、東京というオタクでハイテクな無国籍ぶり(それが今や東京らしさだったりする)が誇張たっぷりに描かれていて、案外楽しめる。

 さて、冒頭のC3POを思い出したのは、セネガル編だ。主人公はアキアというサッカー好きの少年。彼の父親は大のレアルファンで、試合になると片道 60kmの道のりを歩いてTV観戦に出かける。2日かけて戻ってきた父親を、夜、アキアたちは取り囲み、焚き火を囲んで、試合の話を聞く。父親が語る。「大興奮の試合だった。ラウールのシュートはクロスバーを叩くが、ジダン(アフリカだから、当然彼がヒーローだ)はこれを奇跡的なプレーでカバー、ファールをもらう」。語り部の言葉に子どもたちは一喜一憂し、想像力を巡らし、見たことのないジダンのプレーを心の中に描きだす。「物語る」ことの豊かさがよく表われたシーンだった。

 レアルというチームが、どうしてここまで人びとを惹きつけるのか、狂言回し役のマドリッド編の主人公マルティンは、映画の中で繰り返し問う。答えは人それぞれだ。単に選手の格好良さだったり、憧れのヒーローだったり、チームの長い歴史と伝統だったりする。ただ理由はどうあれ、無数の語り部が紡ぎ出す「物語」の豊かな土壌としてレアルが在るのは間違いない。それはレアルだけに限らない。バルサだってそうだろうし、阪神だって、あるいは先ごろWBCで世界一になった日本代表だってそうなのだろう。スポーツが「物語られる」ことの豊穣さ──ひとつ間違えたら陳腐なプロモーション映画に陥りかねない『レアル ザ・ムービー』を救っているのは、その素晴らしさだ。

(映画「レアル ザ・ムービー」は、4/1より全国でロードショー)

#レアル・マドリー

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