加藤大治郎コラムBACK NUMBER
加藤大治郎よ、永遠に。
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph byHideki Sugiyama
posted2003/05/08 00:00
誰もが彼のことを“大ちゃん”と呼んだ。もしかすると僕も、初めて話したときからそうだったかもしれない。
「大ちゃんという速い子がいる。あの子は世界チャンピオンになるよ」
彼の走りを見た人はみんな、そう言った。埼玉県荒川土手の小さなコースで才能に磨きをかけていた少年の名前が、レース関係者の間でささやかれるようになるのに、そう時間はかからなかった。
小さな頃から神童、そんな逸話はいくらもあるが、大ちゃんの世界制覇は、この頃からすでに折り紙つきだった。少年時代から、ともにレースを戦ってきたノリック(阿部典史)の父・光雄さんは、
「昔から大ちゃんは天才的な走りをしていた。絶対に世界チャンピオンになる」
と言っていた。当時のWGP250ccクラス王者の原田哲也をして「大治郎はすごいやつ」と言わしめたのは、まだ大ちゃんが全日本にデビューしたばかりの頃の話だ。
そんな周囲の期待に大ちゃんは次々と応えていく。大舞台には滅法強く、次々にタイトルを制覇。それでいて誰にでも愛される“いいやつ”とあれば、スーパースターにならない訳がなかった。
バイクを降りれば普通の人であり続けた。カリスマにありがちな気取りを微塵も感じさせなかった。家族や関係者たちと同じように、ファンも“大ちゃん”と呼び続けたことがそれを物語る。普通の人であり続けながら、いともかんたんに世界の頂点に立ってしまったところが、誰もが彼を天才と呼ぶ所以でもあった。
戦いを前にして、まじないもしなければ、ジンクスもなかった。そそっかしくて忘れっぽくて、周りが放っておけない性格だった。それでいてコースに出ればただただ速く、強い。「あいつの心臓はダイヤモンドで出来ている」と、イタリア人チームスタッフもそのギャップに驚き、尊敬を込めて“大ちゃん”と呼ぶようになった。
人をひとりでも多く押しのけて前に出なければならないスポーツなのに、同じサーキットで戦う選手たちに、どこまでも愛されてしまうところも凄かった。こんなに優しくていいのだろうかと心配になったものだが、彼にとっては、誰に勝つかはどうでもいいことだった。自分のイメージした走りが出来れば、それで良かった。
好きなパソコンに向かい、眠くなれば眠り、目が覚めるまで起きない。背伸びをしない性格で、いつもありのままの大ちゃんがいた。それでいて、彼の記録は天才だけが残せるものだった。こんな事故さえなければ、まだ何回も世界チャンピオンになれたはずだ。
「大ちゃんという速い子がいるよ」という伝説は、これからも世界中で語り継がれていくだろう。それにしても、言葉では言い尽くせないほどの大きな宝が失われてしまった。今はただ、悲しくて仕方が無い。