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【特別寄稿】加藤大治郎のいない夏――専門誌編集長の回想。 

photograph byRIDING SPORT

posted2003/07/18 00:00

【特別寄稿】加藤大治郎のいない夏――専門誌編集長の回想。<Number Web> photograph by RIDING SPORT

 今年も鈴鹿の夏がやってくる。

 真夏の鈴鹿、8時間耐久レースは、四半世紀以上の歴史を持つ国内の2輪ロードレース最大の、そして世界的なイベントである。十数年前は公式には15万人、実際には30万人近い集客を集めていた。最近でも、必ず毎年5万人は下らないレースファンが夏の鈴鹿詣でをする、二輪界では特別なイベントといえる。

 二人のライダーが灼熱のサーキットを8時間、1台のレーシングマシンで走り続ける。観客は、レースすべてを観戦するのではなく、自分がそのときそこにいることで何ものかと共有意識を持ち、真夏の暑さにうなされにやってくる。

 昨年の25回記念大会の表彰式では、スポットライトを浴びた加藤大治郎に数万人の観客が祝福の歓声を挙げた。少し遅れて表彰台に登場した相棒のコーリン・エドワーズは、すでに汗が染み込んだレーシングスーツを脱ぎ、チームシャツに着替えていた。表彰台中央の大治郎に駆け寄ったエドワーズは、いきなり後ろから大治郎に抱きついた。まるでいとおしい恋人を抱きすくめるように抱きしめ、そして何度も頬にキスをした。

 3年前、大治郎が初めて8耐を制したときもまた、思い出深い表彰式だった。このときの相棒は、グランプリで同じGP250クラスを戦う宇川徹。九州、熊本のRSC高武出身の先輩でもある。宇川にとって3回目の8耐優勝は、お互いに心から喜ぶことができたのだろう、二人は表彰台の上からグローブを投げ、ブーツを投げ、そして最後はレーシングスーツまで脱いで、立錐の余地がなく立ちつくす表彰台下の観客へ向けて、投げ入れた。最後はレース用のアンダーウエアだけになって、長い戦いの末に獲得した栄誉に酔いしれた。

「派手なことが好きな子でした」

 大治郎のお母さん、加藤初実さんは、いなくなった一人息子を思い、こう語ってくれた。ワインガードナーの優勝回数に次ぐ3勝を挙げている宇川は、ガードナーと並んで『耐久男』と呼ばれているが、もしかしたら大治郎の方が、8耐のような派手なレースは好きだっのではないかと、今にして思っている。スプリントレースとは違う、あの異様な夏の盛り上がりを、大治郎は心から楽しんでいたのだろう。

 今年、宇川の相棒は、カワサキから移籍してきた井筒仁康だ。大治郎とはキャラクターのまるで違う二枚目の井筒は、メディアの一部は『貴公子』と呼び、大治郎とは違うファン層に支持されている。ある意味、この二人がホンダファクトリーのエースチームで戦うことは、ファンにとってはとても楽しみになっている。しかし……。やはり、どこか寂しさがつきまとう。大治郎、宇川組がつまらないくらいの圧倒的な速さで8耐を制して、そのままの勢いをグランプリへ持っていって欲しかった。

 レーシングライダーにとって必要な資質とは何かというテーマは、よく話題に上る。大治郎が天才と呼ばれる理由の一つに、どんな状況でも常に冷静であったことが挙げられる。宇川が、グランプリでは熱くなって自ら順位を下げていくことが多いのに、8耐では3勝を挙げている最も大きな理由がこれだろう。長丁場のレースでは、宇川も熱く走り続ける訳にはいかないのだ。一歩引いた自分を持ちながら走ったからこそ、歴代2位の3勝をマークできたのだ。しかし大治郎は、スプリントレースでさえ、いつも冷静にレースを組み立てている。

 今年の鈴鹿グランプリの1週間前、本人の口から初めてこれについての言葉を聞いた。

「熱くなっている人をみるとこっちが冷めてきちゃう。かっこ悪いじゃないですか、そういうの。自分で熱くなっているのに気づくと、ダメダメって思うんです」

 ポケバイやミニバイクで戦っていた子供のころから、熱くならないように、自分自身で抑えてきたと言うのだ。天才の片鱗は、こんなところにあったのだと、このとき改めて感じることができた。

 もうひとつ、このときに感じたのは、大治郎はずいぶんきちんとしゃべるようになったなということだ。それ以前、大治郎のインタビューはいつもあまり気乗りがしない仕事だった。こちらの質問には「え〜」とか「そうですね」としか答えず、こちらは大治郎の言葉を待ちきれずに、次の質問をしてしまう。結局、インタビューの中に大治郎の言葉が極端に少なくなってしまうからだ。しかし、今年のシーズン直前は、かなり雄弁に(この言葉が当てはまるとは言えないが、以前に比べて相当に言葉の数が増えていたのだ)なっていた。その中で、改めて驚いたのが、大治郎が後援する大治郎カップポケバイレースのことだった。

「日本だけバイクの人気が低いでしょ。ヨーロッパとは全然違うんですよ。だから子供たちにもっとバイクに乗ってもらって、日本でももっとバイクの地位を高めたいんです。だからポケバイ。子供たちにバイクを乗せなきゃ」

 正直、驚いた。大治郎がここまで考えてポケバイレースをサポートしていたとは思わなかったからだ。確かに、26歳の成人男子だと思えば当たり前のことかもしれないが、それ以前の大治郎を知っているだけに、ここまで自分の言葉で自分のことをはっきりと語るようになったことに、驚きを覚えた。そして嬉しかった。それまで、どちらかというと、自分の思考世界の中で生きていたようなところがあった。しかし事故に遭う直前、他人の思考世界をその人のレベルで感じて対応してくれていたのだ。これで大治郎と話ができる。そんなことをとても嬉しく思えたのだ。

 大治郎のいない8耐へ向けて、鈴鹿サーキットは再びコース改修を行なう。大治郎がコースアウトして突っ込んだタイヤバリアそのものを、コースサイドの周遊路を内側に追い込むことで、コースから十数メートル離すことにしたのだ。もう、コースアウトしても『あそこへ』突っ込むライダーはいないだろう。

 それが夭逝した天才へのせめてもの手向けだ。

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