Column from EnglandBACK NUMBER
ラグビーの街のサッカー・チーム、ウィガンがプレミアを熱くする
text by
山中忍Shinobu Yamanaka
photograph byAFLO
posted2005/08/25 00:00
500億円近い資産を持つデイブ・ウィランがオーナーであることから、「チャンピオンシップ(2部リーグ)のチェルシー」と呼ばれていたウィガン・アスレティック。8月14日、そのウィガンがクラブ創設以来初めてとなるトップリーグの試合で対戦したのは、他ならぬチェルシーだった。
キックオフを前に両チームの選手たちがピッチに入場する頃には、68歳のオーナーの目は早くも涙で潤んでいた。デイブ・ウィランは最近はやりの投資家オーナーではなく、ブラックバーン・ローバーズの選手としてFAカップ決勝の舞台まで経験しながらも、ケガで若くして選手生命を絶たれてしまったという過去を持つ。その後、地元の一スポーツ用品店を、JJBスポーツという全国規模のチェーン店に一代にして仕立て上げたウィランは、クラブ・オーナーとしてトップの世界に返り咲く日を夢見てきた。
更に、開幕戦でJJBスタジアムが満員御礼となったことも、ウィランの喜びを格別な物にしていた。イングランド北西部に位置するウィガンは、ラグビーの町として知られている。同じくJJBスタジアムをホームとするウィガン・ウォーリアーズは、プレミアシップ初昇格のウィガン・アスレティックとは違い、ラグビーのスーパーリーグの常連であり、数々のタイトルを獲得してきている。これまでのサッカーの試合では、スタジアムに空席が目立つことも珍しくはなかった。
ちなみに、筆者が初めてウィガンという町の存在を知ったのは今から20年以上も前のこと。但しそれは、『君はToo
Shy』などのヒット曲で知られるカジャグーグーのボーカリスト、リマールの出身地としてである。当時高校生だった筆者は、その町にラグビー・チームはおろか、3部リーグで下位をさ迷うサッカー・チームがあろうことなど知る由もなかった。
しかし開幕戦におけるウィガンは、プレミアシップの一員として見事にその存在を世間に知らしめることに成功した。90分間、チェルシーを相手に互角以上の戦いを繰り広げたからである。
MFのジミー・ブラードは、中盤で相手からボールを奪っては四方八方に見事なパスを散らし、前線ではアンリ・カマラが試合開始早々からチェルシー・ゴールを脅かす。守備においても、3年ぶりにウィガンに復帰してキャプテンを務めるアリヤン・デジーウが、バックラインの中央で「人間岩」となり、サイドではパスカル・シンボンダがチェルシーのウィンガー勢を封じ込めていた。
たしかにこの日のチェルシーは、監督のジョゼ・モウリーニョいわく「昨シーズン第2節のバーミンガム戦以来の最悪の出来」だったかもしれない。「どちらがプレミアシップ王者で、どちらが昇格したばかりのチームなのか分からないほどだった」とは、試合後のモウリーニョのコメントである。
だがウィガンのパフォーマンスは間違いなく賞賛に値した。ウィガン・ファンの声援も見事だった。自陣内でFKを得ただけでも、まるでゴールが決まったかのような大歓声。後半にダミアン・フランシスのシュートが惜しくもクロスバーを叩くと、“We're
gonna win the league!(俺たちは優勝する)”という大合唱まで沸き起こった。フルタイム直前にも2度ほど「あわや」というチャンスが訪れている。ウィガンが大金星をあげていても全く不思議ではない展開だった。
それだけに、ロスタイムも残り1分を切った時点でエルナン・クレスポが決勝ゴールを決めるという幕切れは、あまりにも残酷だった。モウリーニョは、クレスポの20m弾が決まった直後、ウィガンのポール・ジュエル監督の元に歩み寄り、肩を抱きながら声を掛けている。
試合後の記者会見でジュエルは、「あまりにも不公平な結果だ」というモウリーニョの労いの言葉に、「人生、そしてサッカーとはそんなものさ」と答えたことを明らかにした。そして最後に「でも我々は、胸を張って次の戦いに臨むことができる」と締め括った。
ジュエルは2000年に、やはりプレミアシップ昇格直後だったブラッドフォード・シティ(現3部)を率いて、最終節でリバプールを下して残留を確定するという離れ業をやってのけている。ジュエルの元で、選手全員が開幕戦で見せたようなモチベーションの高さと集中力を維持することができれば、ウィガンでも奇跡は再び起こるかもしれない。