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<天才の横顔> 前田智徳 もののふの恥じらい
text by
藤島大Dai Fujishima
posted2005/07/21 00:00
重たそうに引きずられる足、閃光のインパクト、野手の届かぬ空間を裂く打球、ああ、ここに前田智徳がいる。奥の歯を噛んで笑みを封じる塁上の瞬間、市民球場には善良なる市民の歓喜と安堵が交錯するのだった。
誰かは「サムライ」と書いた。「天才」の見出しなら常にそうだった。ただいま34歳。九州は熊本の工業高校から球界を生きる場と選んだ男は、いまだ青年の切れ味をたたえる打撃技術で、本日も入場券の価値を高める。
10年前の5月23日。神宮球場。
打つ。走る。守る。すべてに優れた入団6年目の才能は、厳しい現実に襲われる。
右アキレス腱断裂。
二塁ゴロで一塁へ駆けて、そのまま倒れた。当時スワローズ遊撃手、池山隆寛は、確かに鈍い濁音を野球帽の下の耳にとらえた。
「『ブチッ』という音が大歓声の中からはっきりと聞こえてきた」(Number499号)
翌日、2時間半の手術。8月4日まで入院。以後、思うように走れず、踏ん張れず、再発の恐怖につきまとわれ、つまり前田智徳は苦しみ、しかし、欠落の分だけの新しい魅力を発散させながら重い歳月を過ごした。
左の打席へつく。ゆったりとした動作が、いつしか小さくスキのない構えへと収まる。右側の「体の壁」は絶対に崩れない。世俗を超えた空間と時間は、突然、メール送信の速度のスイングをもって消えた。
「天才」。かの落合博満も、前田智徳をそう評したとされる。アキレス腱を切り、それでも翌年度に打率3割を超えるなど、負傷と伴走しながら一流打者の地位に揺るぎはない。いつかイチローが最高の敬意を捧げたのは有名である。天才?「それは前田さんのような……」。
野球は理を究めている。ただし、生き方は不器用である。一途ゆえ、円満を拒む。とことん記者泣かせ。実は、本稿もインタビューを申し入れたのだけれど断られた。
それでも広島へ行こう。ともかく見る。その前に聞く。往年の主砲、山本一義、さらに軽妙な広島言葉が本質を突く達川光男、ふたりのカープOB・現解説者がそれぞれ時間を割いてくれた。
まずは次の質問を。
前田智徳、天才ですか。
「いやあ天才じゃない」
達川光男の即答である。
「あれはね、僕はとにかく練習でここまできました、そう言うたね。突然、閃いたらバット振るらしい。ワシなら閃いても、まあ明日にしようか思うけどね」
現役、重なってますよね('90-'92年)。
「最初のヒット、ヤクルト戦で川崎(憲次郎)からレフト線に打ったの覚えてますよ。新人で一軍に入ったからね。カーブかスライダーやったけどね」
ある日のバント練習。頭脳派で鳴らしたベテラン捕手は、熊本からやってきたルーキーに声をかけた。
「バッターボックスに入って、どの球、待っとるんや」。少年の顔の前田智徳は答えた。
「いや、きた球を打つんですよ」
あれから15年、スタジアムそばの飲食店で、のちに監督としても「きた球を打つ男」と接した達川光男は笑った。
「凄いな、お前。そう言いましたよ。それが最初の会話やったね。最初から左(投手)を苦にしなかったのも印象に残っとるね」
監督('99-'00年)として四番にすえました。
「僕ではふさわしくない。そう言うたよね。アキレス腱を切ってなかったら喜んで打たせてもらいますと。いまは故障したら治す自信がない。四番は一年間すべて出なくてはならない。ものすごく四番という打順に敬意を表したよね。そういう人間なんです。個性派のようで気を遣うタイプじゃね」
もしアキレス腱を切ってなかったら('00年には左アキレス腱も手術)。
「メジャーの言い方なら3・3・3。3割。30本。30盗塁。それにゴールデングラブ(優秀守備者)賞も。そういう選手ですよ」
負傷後も打率3割は記録できている。
「ただ本人が言っとったけどね。僕は復帰はしたけど復活はしてません。打って守れて走れたら復活ですと。そういえば、この前は試合中のコメントでこう話した。開かずに開いて打ちました。下半身は開いても右肩は開かないという意味や思うけどね。復帰はしたけど復活はしてない。開かず開いて打つ。うまい表現よね。研究するんですよ。ミーティングも聞かんふりしてよう聞いとる。ビデオも見らんふりしてよう見とる。きた球を打つんやけど読みも凄いよ。相手が自分をどう攻めるかを考えながら練習する。自分で自分をよう知ってるの」
(以下、Number632号へ)