革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「野茂のフォークは邪魔やったよね」当時MLB最強投手を打ち砕いた“メジャーに最も近かった男”佐々木誠が見た「近鉄の野茂英雄」の凄さとは?
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasato Daito
posted2025/06/27 11:00
日本での野茂の投球を、ライバルの強打者たちはどう見ていたのか……今だからこそ「攻略法」を聞いた
「ドクター・O」からの一撃
1988年11月8日、日米野球第3戦。
佐々木は、メジャーを代表する右腕、ロサンゼルス・ドジャースのオーレル・ハーシュハイザーから、右翼席へ本塁打をたたき込んだ。
その年、ハーシュハイザーはメジャー記録となる59イニング連続無失点の大記録を樹立し、23勝でナ・リーグの最多勝、サイ・ヤング賞を獲得していた。名将トミー・ラソーダのもと、ドジャースはワールドシリーズを制して世界一にも輝いているのだが、そのワールドシリーズでも、ハーシュハイザーはMVP。まさしくメジャーの超一流、メジャーリーガーですらも打ちあぐんだ「ドクター・O」からの一撃に、誰もが度肝を抜かれた。
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4試合出場で、13打数5安打4打点の打率.385に2盗塁。この活躍ぶりがステップボードになったかのように、ダイエーのレギュラー外野手に定着すると、91年には130試合全試合出場を果たし、打率.304、158安打、36盗塁をマーク。先述のとおり、続く92年は打率.322で首位打者、164安打で2年連続最多安打をマークし、40盗塁で初の盗塁王にも輝いた。ホームランも91、92年ともに21本。打って、守って、走れる外野手がその自らの全盛期に対峙したのが、近鉄のエース・野茂英雄だった。
「野茂のフォークは邪魔やった」
佐々木は、このトルネードに苦しめられた。
「一番誰が打ってるの、ホームランは? キヨ? まっすぐばっかりやったもんな、キヨには。俺、そんなに打ってないでしょ? ホームランを打ってないんよ。野茂から打てなかったんですよ。三振も多いでしょ? あのフォークは邪魔やったよね」
鮮明な記憶とともに、苦戦した剛腕の印象を語り始めてくれた。
〈つづく〉

