革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

「野茂のフォークは邪魔やったよね」当時MLB最強投手を打ち砕いた“メジャーに最も近かった男”佐々木誠が見た「近鉄の野茂英雄」の凄さとは? 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byMasato Daito

posted2025/06/27 11:00

「野茂のフォークは邪魔やったよね」当時MLB最強投手を打ち砕いた“メジャーに最も近かった男”佐々木誠が見た「近鉄の野茂英雄」の凄さとは?<Number Web> photograph by Masato Daito

日本での野茂の投球を、ライバルの強打者たちはどう見ていたのか……今だからこそ「攻略法」を聞いた

 投手の分業制が明確化され、故障の回避と年間を通したコンディションの維持を主眼とした、厳密な球数制限という“時代背景の変化”を踏まえれば、野茂が活躍した1990年代と、令和の新時代を単純に比較することは、ひょっとしたらナンセンスなのかもしれない。

 しかも、こうしたデータを抽出して紹介することで、かつての投手はそれだけ投げまくったんだというノスタルジーに、今の投手たちは「甘い」という批判を重ねた、ありきたりの見解に聞こえてしまったのなら、それは本意ではない。ただ、それにしても野茂英雄という投手のタフネスぶりと、その圧倒的な投球ぶりは、その『数』を見ただけでも明白だ。

メジャーに最も近かった男・佐々木誠

 その凄さを、かつてのライバルたちに証言してもらおうということを、本連載の最後のシリーズでの主たるテーマに掲げ、野茂と対戦した2人のバッターに登場してもらうことにした。

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 佐々木誠は、岡山・水島工から1983年ドラフト6位指名で南海へ入団。ちなみに、その年の近鉄1位が東京・創価高の左腕・小野和義で、小野は近鉄を自由契約になった後、佐々木と同じく94年に西武に移籍している。同年の近鉄2位が和歌山・箕島高の右腕・吉井理人、同4位が野茂の専属捕手的な存在だった大阪・上宮高の光山英和だった。

 佐々木はダイエー(現ソフトバンク)時代の91、92年に2年連続でパの最多安打をマーク。92年には打率.322で首位打者、40盗塁で盗塁王も獲得している。攻・走・守の三拍子でレベルが高くそろい、当時の日本球界を代表する外野手の一人として「メジャーに最も近い日本人野手」と称された。

史上最大のトレード

「球界の寝業師」と呼ばれた根本陸夫が西武からダイエーへと移り、常勝軍団への礎を築くべく、大胆なトレードを仕掛けたのは93年オフ。ダイエーから佐々木、3年連続開幕投手の村田勝喜、左腕のリリーバー・橋本武広、西武から、こちらも「メジャーで通用する日本人野手」と呼ばれた秋山幸二、3年連続で2桁勝利の経験がある渡辺智男、若手右腕の内山智之という、この「3対3」の大型トレードを成立させたのだ。

 同一リーグで、それぞれの中軸を打っていた主力が絡んでのトレードは、長いプロ野球の歴史を振り返ってみても、そのインパクトにおいて三本の指に入るだろう。

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