「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
“厳しすぎる指揮官”広岡達朗の目を盗んで深酒を…「二日酔いでマウンドに」酔いどれ右腕・井原慎一朗とヤクルト首脳陣の“ビールをめぐる攻防戦”
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/09/29 17:30
ユマキャンプでの広岡達朗監督(右)と森昌彦(現・森祇晶)コーチ。宿舎の冷蔵庫からビールを“回収”するなど、常に監視の目を光らせていた
井原は明言しなかったが、「森昌彦(現・祇晶)コーチですね?」と投げかけるとニヤリと笑った。話はさらに続く。
「遠征先では大体、ホテルの1フロアを貸切りにするんです。廊下にある自動販売機でビールを買うと、ガチャンとかなり大きな音がしますよね。だから僕はいつも、3階上までいってビールを買っていました。1階上じゃないんです。3階上です。でもあるとき、“ビールを買っているのは誰だ?”という話になったら、コーチの一人が“井原です”って言ったんです。僕は3フロア上で買っているから、僕じゃないのに(笑)」
「とりあえずビール3本ね」注文後に広岡が…
広岡が監督代行に就任した1976年シーズン中のことだった。ある日の試合で、鈴木が先発し、井原がリリーフした試合でヤクルトは敗れた。同部屋だった2人は宿舎に戻るとすぐに旅館スタッフに「とりあえずビール3本ね」と頼んだという。
「そうしたらね、僕らの部屋に広岡さんが入ってきて、“今日の試合だけどな……”と反省会を始めたんです。僕らは気が気じゃなかったんだけど、そこに仲居さんがやってきて、“ビール3本、おまちどおさま”って。その日から、鈴木さんとの同部屋は禁止になりました(笑)」
厳格で冷酷非情というイメージのある広岡監督の下、選手たちは汲々としていたという現実は確かにあった。しかし、その一方では井原や鈴木のように、その環境下を軽やかにやり過ごす選手がいたのも事実だった。井原のエピソードからは、そんなヤクルトの当時の雰囲気が匂い立ってくるようだった。
<第3回に続く>