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「まだまだですよ。もっとギラギラしていたい」貪欲に戦い続ける南野拓実の“道標”となったプラスワンの存在とは?
posted2025/07/09 11:30
text by

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Kiichi Matsumoto
黄色い「きゃー」の歓声ではない。目標とする存在が突然目の前に現れたときの、太くて青い驚きの声だ。
「えっ? お、おぉぉぉ!」
6月某日、大阪府内にある高校の体育館に、梅雨の雨音をかき消すサッカー部員たちの声が響きわたった。この日、彼らはアディダスが開催するスパイクのTRYONイベントと聞かされ、体育館に集まっていた。リラックスした雰囲気で、シューズの感触を確かめながらボールを蹴る。すると突然、入り口の扉が開き、引き締まった筋肉を纏った2人の男が入って来た。
サッカー日本代表、南野拓実と菅原由勢だった。
驚く若者たちの顔を、南野はどこか懐かしそうに見ていた。
「高校を卒業して以来、学校の校舎に来ることってほとんどありませんでしたから。一緒にボールを蹴っているときの生徒たちの表情や仕草も、なんか懐かしくて」
“憧れの人”香川真司からの影響
かくいう南野自身も、高校時代には“憧れの人”を前に、目を輝かせてきた。
「子供の頃から、背が小さくても点を取れる選手を参考にしていました。特にメッシやイニエスタがいた頃のバルセロナがすごく好きで。国内では、もちろん香川真司さんですね」
クラブのU-18でプレーしていた当時、すぐ脇のグラウンドではトップチームが練習していた。空き時間になると、南野はことあるごとにそちらへ向かって大きくボールを蹴り出した。「偉大なる背番号8」の姿を見に行くためだ。
「隣のグラウンドにいた選手が、数年後には世界のビッグクラブで活躍している。自分もこうなりたいと思いましたし、真司くんがいなかったら、僕のヨーロッパでのキャリアは思い描けなかったかもしれません。決して体は大きくない日本人選手が、攻撃的なポジションで結果を出してくれた。ヒデさん(中田英寿)が先駆者だとするならば、真司くんが世界への2枚目の扉を開いてくれたように思います」
隣のグラウンドに、憧れの未来があった。そして南野が立つクラブのU-18のピッチには、そんな未来を現実にするために必要なことを教えてくれる「プラスワンの存在」がいた。当時の監督、大熊裕司(現テゲバジャーロ宮崎監督)である。
欧州で戦う『道標』を築いた“大熊イズム”
「大熊さんのもとでプレーした3年間は、僕にとっての『道標』になりました。攻守の切り替えのスピードと強度、プレーの連続性は、今の自分のプレースタイルを確立する上でとても活きています」
大熊と出会う前の南野は、「攻撃のことだけ」考える選手だった。幼い頃は、とにかく自らドリブルで運び、ゴールを狙うことだけを考えていた少年だった。
「ジュニアユースの頃は、それですごく怒られていましたからね。あまりにも守備をしないから(笑)。大熊さんは『なぜ攻撃的なポジションの選手でも守備が必要なのか』を、ちゃんと練習メニューに落とし込んで、意識付けしながら理解させてくれた。素晴らしい指導者であり、僕の恩師です」
練習や試合中、南野が攻撃ばかりに夢中になると、いつも大熊に呼び止められた。そして、こう問いかけられた。
「お前は自分の力を出しきっているか?」
大熊からの愛ある“お説教”の価値を、南野はこう噛みしめる。
「選手って、誰でもうまくサボろうとするんです。当時の僕もそうでした。でも、大熊さんはそれを見抜く。決して無理強いするわけではなく、ちゃんと選手の限界値を見極めて、その最大値まで力を出しきることを求める。攻守の切り替えやプレーの連続性は、ザルツブルクのスタイルにも通じる部分だったので、大熊さんのこの指導があったらから、ヨーロッパで戦っていける自信にもなっていますし、僕のキャリアにとってもすごく大切な人です」
2015年2月、南野はセレッソ大阪からザルツブルクへ移籍した。相手がボールを持った瞬間から全員が激しくプレッシャーをかけて奪い返すことを試みるチームの戦術の中で、南野に植え付けられた“大熊イズム”は強力な武器となった。
まだまだ、と、ギラギラ
2019年10月3日のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)の一戦では、豪快な右足ボレーシュートをゴールネットに突き刺した。さらに後半15分には正確なクロスで味方のゴールをお膳立て。攻撃では技術を存分に発揮しつつ、守備でも献身的に「力を出しきる」姿が名将ユルゲン・クロップの目に留まり、この3カ月後、南野のリバプール移籍が実現した。
「CLでプレーしたい。これは僕がヨーロッパへ移籍した大きな理由の一つです。だから、この大会での得点数はずっと意識していました」
そして3年前、南野は活躍の舞台をモナコへと移す。ここでも、ビッグマッチでの勝負強さは健在である。今年2月のベンフィカ戦でCL通算5ゴール目を決め、香川真司が持つ同大会の日本人最多得点記録を更新した。さらに国内リーグ第33節のリヨン戦では、鋭いドリブルで敵を翻弄し、左足シュートで決勝点を叩き出した。これでリーグ3位以内を確定させ、来季のCL出場権を勝ち取った。
「シーズン終盤はCLの出場権を獲るために、一つも落とせない試合が続きました。そんな痺れるような緊張感の中で『チームを引っ張るんだ』という気持ちを、態度と結果で見せたかった。そこでゴールを決められたことは自信になりますし、こういうビッグマッチで活躍しなければチームの中心にはなれない。でも、なかなか点を取れない時期も続きましたし、CLも5得点。まだまだですよ。もっとギラギラしていたいし、どんな試合でも結果を出せる選手にならないと」
まだまだ。南野にインタビューするたびに耳にするフレーズだ。目標を達成するために、いつもギラギラ目を輝かせ、「まだまだ」と自身に発破をかける。ザルツブルク時代には大きな目標を記した紙を自宅の壁に掲げ、それを達成するためにやるべきことを付箋に書いて、ペタペタ貼った。気づけば壁じゅうが付箋だらけになっていた。
「僕の弱点はどこなのか、何がうまくいっていないのかを本気で考えて、自分自身と向き合う。この作業って、すごく大変で、嫌なんです。でも、それをやることで目標が明確になりますし、自分の思考をすっきり整理することができる」
10代の頃から、自分自身の弱さにも正面から向き合ってきた。そんな南野だからこそ、思わず現実から目を背けたくなるような経験にも決して目を背けていなかった。
「人生最悪の日」と未来への誓い
2022年12月6日。この日を南野は「人生最悪の日」と表現した。
「なんで俺はここで決めきれないんや、って。自分自身のことも、サッカーのことを考えるのも嫌になってしまった」
カタールW杯ラウンド16、日本対クロアチア戦は1-1のまま延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれ込んだ。当時の日本代表は、立候補制でPKのキッカーを決めた。日本のベンチ前にできた円陣の中心で、森保一監督が選手たちに問いかけた。
「1番手、蹴りたいヤツいるか?」
一瞬の沈黙の後、1人の男の右手が挙がった。南野だった。
「俺、行きます」
PKの成功確率は、一般的に70~80%と言われている。決めて当たり前。もし外せば、猛烈な批判にさらされることは目に見えている。それでも南野は、自ら進み出てプレッシャーを受け入れる。
「誰も手を挙げなかったので、それなら『俺が』って。W杯の舞台でPKを蹴るなんて、特別な人にしか経験できないじゃないですか。僕は子どものころから何でも1番が良かった。あのときも決める自信がありました。でも、結果的に止められているので……。美談でも、カッコイイ話でも何でもないんです」
南野が右足インサイドで蹴り放ったボールの行方を、クロアチアのGKの両手が塞いだ。そして、日本は敗れた。
人生最悪の日から2年半が経った。次の北中米W杯は1年後に迫っている。
「カタール大会の1年前は、リバプールでも試合に出られていない時期で、日本代表チームとしてもアジア最終予選で苦戦して、不安な気持ちが大きかった。でも今は、個人としてもチームとしても自信を持って本大会に臨めると思います。絶対に前回の成績を上回りたいし、優勝が最大の目標です」
もしも北中米W杯でPK戦にもつれ込んだら、再び1番手として手を挙げますか?
こう問うと、南野は即答した。
「挙げます。そこで挙げなかったら、絶対後悔するだろうし、あのときの自分を超えたいじゃないですか。もしも決めることができたら、カタールでの悔しさを払拭できるはずだから。決める自信があるんだったら、僕は行くべきだと思います。でもね、PK戦までもつれる前に勝つことが、最大のリベンジです。自分の思い出を払拭することではなく、日本代表が勝つことが一番ですからね」
高校生に本気で向き合う、南野拓実という“道標”
南野がヨーロッパへ旅立って、もう10年が経った。20歳のころは、自分が結果を出して、欧州で名を上げることに集中していた。目の前に座る30歳は胸を張って「チームが一番」と言う。
「そりゃ大人になりますよ。辛いことも、大変なこともたくさん経験しましたから。でも、自分自身の力を疑ったことはありませんし、今でもギラギラした気持ちは忘れていません」
南野が現れた体育館は、その後も熱気を帯びた。技術を盗もうとする高校生たちの情熱に背中を押され、南野自身も「思わず本気を出しちゃいました」と笑った。その最後に、トークセッションが開かれた。マイクを握った南野は、生徒たちにこう語りかけた。
「これからみなさんも、自分の人生や進路について決断する時期が来ると思います。もし何か目標があるんだったら、それを達成するために自分は何をすればいいんだろうって考えて、行動する時間を少しでも作ってみてください。この小さい積み重ねが、大きな目標につながると思います。僕の場合はサッカーでしたけど、別に目標はサッカーじゃなくてもいい。ぜひ、またどこかで会いましょう」
体育座りの若者たちが、ぐっと前のめりで耳を傾ける。南野の言葉は、きっと彼らの“道標”になる。
南野 拓実Takumi Minamino
1995年1月16日生、大阪府出身。2013年セレッソ大阪U-18からトップチーム昇格。'15年ザルツブルク、'20年リバプールなどを経て、'22年モナコに移籍した。日本代表通算67試合24得点(6月25日現在)。174cm、68kg。
adidasが2024年1月よりグローバルで展開する「YOU GOT THIS(大丈夫、いける。)」。2025年はアスリートをプレッシャーから解放し、支えとなり、ポジティブな影響を与えてくれる「プラスワンな存在」に焦点を当て、様々なアスリートが「ひとりじゃないから。大丈夫、いける。」と思えるエピソードについて語ってもらいます。
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