「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
“厳しすぎる指揮官”広岡達朗の目を盗んで深酒を…「二日酔いでマウンドに」酔いどれ右腕・井原慎一朗とヤクルト首脳陣の“ビールをめぐる攻防戦”
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/09/29 17:30
ユマキャンプでの広岡達朗監督(右)と森昌彦(現・森祇晶)コーチ。宿舎の冷蔵庫からビールを“回収”するなど、常に監視の目を光らせていた
「このときには最悪の状態でした。もう、肩が痛くて腕が上がらない。ピッチングコーチの堀内(庄)さんには、“もう限界です”って伝えているのに、堀内さんは“わかった”と言いながら、“ベンチに入れ”と言う。“おかしいな”と思いつつ、試合で登板する。コーチが監督に伝えていなかったのか、監督が無視していたのか、僕にはわかりません(笑)」
この月、井原は9試合に登板して4勝1セーブを記録。文句なしの月間MVP受賞となった。そして、「酒豪」と称された井原ならではのエピソードも披露してくれた。秋田でのカープ戦前夜のことだ。
「実はこの秋田の試合は、かなりお酒を飲んでマウンドに上がったんです……」
雨天中止を見込んで痛飲した翌日…
この日、「管理野球」と称されていた広岡の目を盗んで、井原は痛飲していたのだという。45年前の「秋田での一夜」を本人が振り返る。
「よく覚えていますよ(笑)。秋田での試合の前夜、どしゃ降りの雨だったんです。秋田に先輩がいて彼と飲んでいたんですけど、22時の門限までには宿舎に帰りました。でも、その先輩に“オレはここで待っているから、お前ら、勇気があるならもう一度出てこい”って言われたんです……」
井原は今、「お前ら」と言った。そう、「ヤクルトの弥次さん、喜多さん」と呼ばれていた鈴木康二朗も一緒だったのだ。
「……それで、“どうせ明日は中止だ”という思いもあったので、鈴木さんと一緒に再び抜け出して、その先輩と飲んだんです。僕としては命がけで出ていったんです(笑)」
厳格な広岡の目を盗んで門限破りをする。大胆不敵な行動だった。背徳感とスリルも相まって、宿舎を抜け出してまで飲む酒はもちろん美味かった。数時間後、そっと宿舎に戻り、これで一件落着……のはずだった。しかし翌朝、井原は信じられない光景を目にする。
「窓の外はピーカンでした。もう、雲ひとつない快晴。でも、グラウンド状態が悪かったから、本当はダブルヘッダーの予定だったものを1試合だけやることになったんです」