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「どうしてこんなに自信があるんだろう?」渋野日向子本人よりも“渋野日向子”のことを信頼してくれるプラスワンの存在

posted2025/07/14 11:30

 
「どうしてこんなに自信があるんだろう?」渋野日向子本人よりも“渋野日向子”のことを信頼してくれるプラスワンの存在<Number Web> photograph by Asami Enomoto

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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Asami Enomoto

屈託のない笑顔が印象的なプロゴルファー渋野日向子。その笑顔の一方で、自身のことを「ネガティブになりがち」とも捉えている。そんな渋野日向子が渋野本人よりも“渋野日向子”のことを信頼してくれるという、プラスワンの存在について語った。

 渋野日向子は、よく笑い、よく怒り、そして何よりもよくヘコむ。

「ネガティブになっちゃうことが多すぎるんですよ、私」

 あっけらかんと笑顔で明かす姿からは、にわかに想像ができないが、それが彼女の素の姿なのだという。

 予選落ちしたときはもちろん、まずいプレーでスコアを伸ばせなかったときも、本人いわく「ず~んと」落ち込む。あれもダメだ、これもダメだ、やっぱりダメだ。マイナス思考が頭の中をぐるぐる回り続けて離れなくなる。

 そんなとき、いつも聞こえてくる声がある。

「いや、全然心配ないから」「絶対に勝てる」

 くじけた心に優しく手を差し伸べる励ましの言葉。それは渋野の内なる声ではなく、現実に耳に入ってくる声だ。

 渋野はいつも不思議に思っている。

「どうしてこの人は、私に対してこんなに自信があるんだろう」

 渋野本人よりも“渋野日向子”のことを信頼してくれる、そんなプラスワンの存在。それが長年一緒にやってきたマネージャーの「ミミさん」こと田谷美香子さんだという。

マネージャーの枠を超えた存在

 渋野が9歳年上のミミさんと出会ったのは6年前。全英オープンで日本人42年ぶりのメジャー制覇を果たし、世間が『しぶこフィーバー』に沸きかえっていた頃だった。

 現在のマネジメント事務所に選手として契約し、ほぼ同時期にミミさんはスタッフとして採用されて渋野のマネージャーとなった。それからというもの、2人は海外を含めたほとんどの試合を一緒に戦ってきた。
 
 一口にマネージャーと言っても、ミミさんの仕事は実に多岐にわたる。

「車の運転をしてもらってます。料理も作ってもらってます。通訳してもらってます。あと何? キャディも! 遠征の手配でしょ。旅のお供でしょ。それに私のメンタルコーチみたいなものでしょ。なんかいっぱいありすぎますね(笑)」

 たとえ予選落ちした日であっても、「すっごく美味しいから食べない日はない」というミミさんの料理が、おなかを満たすだけでなく、心のケアにもなってきた。

 とある大会では、こんなことがあったという。

 予選落ちが決まり、コースから宿舎に戻ってきても、渋野はひどく落ち込んだまま自室にこもり続けていた。「ごはんできたよ」と呼ばれても、出ていけなかった。

 気持ちの整理をつけ、ようやく少し立ち直ることができた頃には、とうに夕飯時は過ぎていた。さすがにおなかも空いてきていた。まだ何か残ってるかな? と部屋からひょいと顔を出して渋野は驚いた。

 食卓にはまだ夕食が手つかずで並んでいた。ミミさんは座って待っていた。

「さあ、ごはん食べよう」

 渋野は思った。

「そんなことされたら泣いちゃうよ!」

 うん、とうなずいて、涙をこらえながらごはんを食べた。食事は少し冷めていたかもしれないが、心はじーんと温まった。

「私はネガティブになっちゃうことがめちゃくちゃ多いんですけど、ミミさんは本当に自信を与えてくれる言葉をかけてくれる。私の言ったことを否定されることも少なくて、いつも意見を尊重してくれるんです」

「もう試合に出たくない」渋野の漏らした弱音にミミさんは

 一昨年、渋野はケガに悩まされ、翌季のフルシードを失う試練のシーズンとなった。春先に左手親指を痛め、試合には出続けていたものの、十分な練習量をこなすことができずプレーに精彩を欠いた。5月から7月にかけては日本ツアーと合わせて5戦連続予選落ちも喫するなど、どん底の時期だった。

「あの頃はひどかったですね。小学生の頃に戻ったのかっていうぐらい球が飛ばなくて、本当にどうしていいのか、何をすればいいのかわからなくて。精神状態はボロボロでした」

 ゴルフの状態を上向かせるには練習をするしかない。だが、クラブを握れば痛みが出る。だから練習ができない。行き詰まりを感じながら、それでも試合はやってくる。

 ゴルフは1日のプレー時間が4時間以上に及ぶ。対人競技のように負けておしまい、というわけにはいかない。納得のいかないショットを何度も何度も打つことを強要され、それがまた心を削り取っていく。

 スタートする前から長く辛い時間が待っていることがわかっているから、渋野はついミミさんに弱音を漏らした。

「もう試合に出たくない」

 プロである以上、会場まで来てそんな泣き言が通用しないのはわかっていたが言わずにはいられなかったのだろう。

 ところが、ミミさんから返ってきたのは翻意を促す言葉ではなかった。

「いいよ。帰ろう!」

 結局試合には出るのだが、そんなふうにいつも渋野の思いを受け止めてくれるのがミミさんという存在だった。

「どんなことがあろうと、ずっと味方でいてくれるんですよね。ずっと一緒にやってきて、言い合うこともあったけど、マネージャーさんの枠を超えて、なんでも言い合えるようになりましたね」

全米で2位になったときには私よりも先に泣いていた

 昨年5~6月の全米女子オープン。9戦中6戦で予選落ちとシーズン序盤から苦戦が続いていた渋野は、女子最高峰のタイトルをかけたこの大会で、あえてミミさんにキャディを任せた。ミミさんもかつてはプロを目指してプレーしていたとはいえ、決してキャディ業に慣れているわけではない。

「すごく調子が悪かったのでプロキャディさんに頼むのは悪いとも思ったし、より自分が素の状態でいられるのはミミさんだと思ったから頼んだのかもしれません」

 この起用が吉と出た。クラブのシャフト変更などもあいまって、渋野はそれまでの不振を吹き飛ばすように優勝争いを演じて2位となった。その3週間後のメジャー、全米女子プロでも再び7位の好成績。ミミさんにキャディを任せたこの期間で、ほぼシードを決めたようなものだった。

 ただし、セントアンドリュースで行われた8月の全英女子オープンでは、初日80、2日目78の通算14オーバーという大叩きをして、2人で一緒にひどい予選落ちも味わった。そうそううまくはいかない。

「いろいろなことを経験しているんです」と渋野は笑って言った。そんな浮き沈みも、苦楽をともにしてきた2人らしい結果だった。

 そうした日々を過ごすうちに、ミミさんのほうも渋野を信頼して、以前より打ち解けた態度を見せるようになったと感じている。

「だんだん私みたいにふざけてくれるようになりました。『その姿、私にしか見せないでしょ?』『みんなの前じゃ、それ歌わないでしょ?』みたいな素の姿を出してくれるようになりました。以前よりも絶対に。全米で2位になったときには私よりも先に泣いてましたもん」

 今シーズンも序盤戦は思うような結果が出ておらず、もどかしい試合が続いてきた。だが、ミミさんは「ゴルフはすごくいいから、しょげなくていいよ」と言ってくれている。他の人に言われても鵜呑みはできないかもしれない言葉を、素直に受け止められるのは、やはり2人で積み重ねてきた時間があるからだ。

「私がやってきたことをずっと見てくれている。ほぼ二人三脚でずっとやってきて、いろいろなことに取り組んできたのも、失敗したことも見ている。だからこそ信じられるのかな。家族よりも知ってるから」

 そして、実際に今季はプレー面での手応えも感じているという。

「いろんなことに挑戦してきて壁にぶち当たりまくってますけど、今年のゴルフはポジティブになれる要素、前向きになれる要素は多いと感じています。去年と同じコースを回っていても、全然違うなと感じる場面も多いですから。試行錯誤してきた分、ゴルフのことも深く知ることができた。全英で勝った2019年が0だとしたら、10ぐらいかな。奥が深すぎて全体の100からしたらまだ10なんですけどね」

歴代優勝者に割り当てられた全英の駐車スペースを、もう一度クラブハウスに近づけたい

 7月31日からはイギリス・ウェールズのロイヤル・ポースコール・ゴルフクラブで全英女子オープンが始まる。

 歴代優勝者にはクラブハウスに近い駐車場がそれぞれに割り当てられていて、当然、2019年大会覇者の渋野のスペースも用意されている。毎年そこに自分の名前を見つけるのが、メジャータイトルの重みをかみしめる瞬間でもある。ただ、直近の優勝者ほどクラブハウスから近くなるため、渋野のスペースは年々遠ざかっていっている。

「それを頑張って、もう一度クラブハウスに近づけるのが目標なんです。去年は(開催コースの)セントアンドリュースにボロボロにやられて、『二度と戻りたくない』って思っちゃったぐらいなんですけど、やっぱり他の大会とは違いますから。特別なんですよね」

 少しずつ薄れゆく2019年大会の記憶の中でも、渋野には印象深い思い出がある。首位タイで迎えた最終18番ホール、両側に連なる大ギャラリーの中をグリーンに向かっていくときに聞こえた大きな、大きな拍手だ。

「『誰への拍手?』と思ったら、『あ、私か』と気づいて手を振ったんです。あの光景は忘れたくないです」

 いつもそういう記憶が試合に向かう力になる。渋野は自ら焚きつけるよりも、周りの人の支えや応援を生かすことでより大きなモチベーションを得られるタイプなのかもしれない。

「日本で応援してくれている人の顔、お世話になっている人の顔。逆にアメリカまで見に来てくれる方の顔。そういう人たちの顔をふと思い出すと『行こう!』って気持ちになります。目の前にいなくても、今まで会った人たちの存在が後押しになるんです」

 そして、一番近くには誰よりも支えになる存在がいて、心強い声を届けてくれる。

 ひとりじゃない。

 だから、渋野は自分を信じて今日もコースに立つ。

渋野 日向子Hinako Shibuno

1998年11月15日生、岡山県出身。小学2年生でゴルフとソフトボールを始める。作陽高(現・作陽学園高)を卒業後、2018年に2度目のプロテストで合格。'19年5月にツアー初優勝、8月に全英女子OPで日本人42年ぶりのメジャー制覇。書道は初等師範の腕前。167cm。

adidasが2024年1月よりグローバルで展開する「YOU GOT THIS(大丈夫、いける。)」。2025年はアスリートをプレッシャーから解放し、支えとなり、ポジティブな影響を与えてくれる「プラスワンな存在」に焦点を当て、様々なアスリートが「ひとりじゃないから。大丈夫、いける。」と思えるエピソードについて語ってもらいます。

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